68  天国の場所

「イルカ先生は優しいネ‥‥」
思いもしない言葉に驚くイルカに、カカシは表情を緩めた。
「何言って‥‥」
「優しいですヨ。‥‥イルカ先生は優しいし、食い物は旨いし。いいとこだネ、木の葉は」
「何ですかそりゃ」
「いや、実際他の隠れ里より恵まれてるしネ‥‥木の葉の為に働いてて良かったナ〜と」
「何急に忍の鑑みたいな事言って」
話の展開が読めないイルカに、カカシは困ったような不思議な微笑みをみせた。
「ホントにそう思ってますヨ。里あっての俺です。里がなかったら、俺はここまで生き延びてなかった。それにこればっかりは、逃げる先があればよしってもんでもないし‥‥」
思わぬ話の鉾先にイルカは口を噤んだ。
「俺、ガキの頃は野戦地暮しだったって、イルカ先生に言った事ありましたよネ?」
「あ、ええ、聞きました」
「だから里の有り難さって今ひとつ理解出来てなくて‥‥。里の為に戦うって大儀名聞を毎日聞いててもですヨ。でもネ、実際里に居着いたら、ここに俺の根っこはあったんだなって、頭じゃ無くてこの辺りで」
カカシはそっと己の胸を指した。
「里があるから俺は勝手に飛んで行かないで済んだって。でも一度抜けたサスケには、もう戻れる処が無いと思うと‥‥‥。音の里が木の葉の代わりになるはずが無いのに」
カカシはそっと目を伏せた。
「そんな事考えてたら、今更ながら、どうしてサスケを守ってやれなかったのかって」
 忍あっての里だが、里あっての忍であるのもまた然り。
 忍にとって里は己の故郷であるとともに、自己を確認し、存在を承認してくれる場所であるとイルカは思っている。
 里を離れる任務に就く時は誰しもがそう思うだろう。長期の任務であればあるほど、難易度と危険性の高いものであるほど、その念は強くなる。里への帰属意識を高める為にアカデミーでそれを叩き込み、里への忠誠を揺るぎないものへと育てあげているのを十二分に知ってなおそう思うのだ。
 それにこの歳まで忍をやっていれば、捕らえられた抜け忍がどのような末路を辿るのか、嫌というほど知っている。
 だから里を捨てる事の恐ろしさと、それをしてしまったサスケの行く末を思うと気持ちは重く沈む。拠り所とする里を無くし、抜け忍として終生追われ続ける道を選択したサスケ。まだ少年の幼さをうっすらと頬の線に残していたサスケが、戻るべき故郷を自らの手で葬ったのかと思うと哀れとさえ感じる。
「頼って頼られて‥‥そういうのが普通デショ、仲間って」
「ええ」
「でもね、最終的にサスケは俺に頼ってこなかった」
それはいやにハッキリとイルカの耳を打った。
「どーせネ、上忍師なんてガラじゃなかったんですヨ。それは分ってますから」
そう口にしたカカシのなかで一体どんな感情が渦巻いているのか、本当のところをイルカには推し量る術がない。しかし軽い口調とは裏腹の瞳がすべて物語っている。それが辛くてイルカは縋るようにカカシに向かった。
「違います。カカシ先生だったからサスケもナルトも、ここまでやってこれたんだ。アンタ以外誰があんな大変なやつらの面倒見られるんだ。それに俺はカカシ先生が部下を大切にしてるの良く知ってます。カカシ先生のお陰で、アイツら強くなったんですよ。ガンガン飛ばす勢いで」
イルカはそう捲し立てた。
「アイツらだって分かってる。カカシ先生がどれだけいい上司かって。俺だって知ってます。‥‥それにアンタ優しいよ。ナルトのことで文句言っても結局俺のこと許してくれてるし、三代目のときだってアンタが側に居てくれたし。俺が落ち込んでる時は慰めに来るし‥‥‥なんか他のこともイロイロあったけど」
カカシの気を引き立てようと必死になっているうちに、どんどん内容が変わっていってしまったが、イルカは兎に角カカシの素晴らしさを強調しようと懸命になった。するとその必死さが伝わったのか、はたまた何かおかしなことを言ったのか、カカシが笑いはじめた。
「なんですか‥‥人が一所懸命にアンタのこと」
「いえ、うん。ホントにアリガト」
目尻を下げて心底から嬉しそうにカカシは微笑んだ。イルカが気恥ずかしさを覚えたほどに。先ほどの切迫した雰囲気が少しは和らいだように思える。
「でも頼りにならないから帰れって言っただろ」
「違います。頼りにならないとか、そんな事絶対ないです。‥‥そうじゃなくて、嬉しいんです。血相変えてウチに来てくれたのも」
「じゃあ何で? やっぱり俺の方が階級が下だから、弱味みせられないとか」
また余計な本音を吐いたイルカを、だがカカシは慌てて否定した。
「だから違うって! イルカ先生の階級なんて関係ないです。そりゃサスケの事で遠慮したってのは嘘じゃないですけど。ただ‥‥」
「ただ‥‥?」口籠ったカカシをイルカが促した。
「サスケのことでイルカ先生に話しづらかったのは本当です。でもそれだけじゃなくて、イルカ先生の前では、あんまり格好悪いところみせたくなくて」
「へ?」
「遠慮したっていうより、なんかその‥‥は、恥ずかしかったっていうか‥‥」
「恥ずかしい?」
思わぬ言葉にイルカの眉間にしわが寄った。それをカカシはどうとったのだろう。言い訳のようにバタバタと手を振り始めた。
「さっきイルカ先生を‥‥その、さすがにアレは」
どうやらイルカを押し倒した挙げ句、取りすがった事を言っているらしかった。
「イルカ先生に嫌われたくないし‥‥」
カカシは視線をあらぬ方向に彷徨わせた。
「このままだと、アンタに何かやっちゃいそうだったし」
「なっ‥‥!」
何かって何だよ一体!、そう言い返しそうになったイルカは、咄嗟のところで踏み止まった。寝台に押し倒された先ほどの一件を、「何か」と言わずして何だというのだ。
「だからゴメンって」
唇を尖らせたイルカにカカシは申し訳なさそうに肩を窄めた。まるで安易な恋愛小説のような展開が気恥ずかしい。照れ隠しのようにイルカは啖呵を切った。
「別に‥‥、それに俺が簡単にアンタに靡くかよ」
「でもイルカ先生って、情に絆されそうっていうか、流されやすいっていうか」
そんなことは断じて無いと、直ぐ様否定できなかったのはそれが真実だからだ。
「そんなに俺は簡単そうですか」
「今までが簡単じゃなかったから何とも言えませんけどネ。でも付け入る隙は十分っていうか」
聞き逃してしまっていいのか迷うような事をさらりと言ったカカシに、内心穏やかではないイルカだったが、ここでまた同じ話を蒸し返すほど莫迦ではない。そう思い全く関係の無い話をカカシに振って、この話から逃れる事にした。
「謹慎でも何でもいいけどカカシ先生が無事で良かったです」
「ん? 無事って?」
「今更ですけど怪我とか無くて良かったなって。音忍と派手な戦闘があったって聞きましたから」
「俺は特に何も‥‥」
「? 怪我人もでたって聞きましたけど」
それにカカシは、何の事やらといった顔をした。
「俺は別に何もしてないんですけど。俺はサスケ追いかけてったナルト達の後追いをしただけなんで」
「は? ナルト?」
突如出現したナルトの名前にイルカは戸惑った。
「どうしてナルトが出てくるんですか?」
「だからサスケを追った部隊は‥‥‥誰でしたっけ、あのアスマの班のガキ。奈良のところの」
「シカマルですか」
「そう。そのシカマルを班長にして下忍部隊でサスケを追わせたらしいんですヨ。アスマの班とか紅のところとか。あとガイの預かってる日向の出世頭」
挙げられた名前はイルカを驚かせるに十分だった。いくら相手がサスケとはいえ下忍だけの部隊、ましてや顔ぶれを聞く限りは下忍一年目や二年目といった者ばかりだ。
「そいつらだけなんですか」
「シカマルが中忍に昇格したから一斑組んだらしいんですヨ。で、俺はその時里に居なかったんで、戻ってきてからアイツらの後追ったんです」
 冗談だろうと正直イルカは思いたかったが、カカシが態々嘘をつく理由がない。だがやっとイルカにも今回の顛末の合点がいった。追忍部隊はナルト達下忍組。カカシはさらにそれを追い掛けた形であったのだと。
 碌に話も聞かず「サスケの監督不行届きと、追忍部隊の失敗」の責を受けて、カカシが左遷させられるのだと思い込んだための勘違いだったのだ。
「だから結局アイツらを回収しに行ったっていうのが、正直なところで」
「回収?」
「ええ。怪我して倒れてましたから」
「じゃあ怪我人って‥‥」
「ナルト達ですけど」
「ナルト!? アイツ怪我したんですか?」
それを聞き、慌てたイルカは寝台から立ち上がった。余りの勢いのよさにカカシが一歩退く。
「ナルトが怪我‥‥‥」
怪我の二文字にイルカは青醒めた。
「いや、ナルトはそれ程でも。日向や他の下忍の方が酷くてネ。木の葉病院に連れてったんですけど」
「木の葉病院ですか!?」
「ええ。そうです‥‥けど」
イルカの余りの剣幕に、カカシは慌ててうんうんと首をぶんぶんと縦に振った。
「アンタ! 何でそんな大事な事早く言わないんだ!」





 そうと分ればもうカカシに構ってはいられないとばかりに、イルカは部屋を飛び出していった。
後に残されたのはカカシ一人。
「‥‥いや、アイツもう退院してるんですけど」
カカシの声は当然イルカには届かない。
「ほんとーに、他人の話聞かない人だな」
こんな風に今回の騒ぎを耳にしてすぐに、カカシの元に飛び込んできたのだろう。その行動力は買うが、余りに注意力が足りない。これでよく忍になれたものだとカカシは半ば呆れた。
だがそれにしても‥‥‥。
「‥‥つれないヨ、イルカ先生」

 ‥‥‥これじゃ一体、慰められたのか、振り回されたのか。

励ましたいだの、頼ってこいだのと言う割には、結局自分はナルトの次なのかと、カカシは改めて思い知らされた気がした。
 恨めしい気持ちで立ち尽くすカカシの周りを、イルカの巻き上げた埃が、午後の陽射しを浴びてキラキラと舞っていた。


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written: akiko.-2006