65  天国の場所

 カカシの先導に従い室内に足を踏み入れたイルカだったが、室内の渾沌とした状態に思わず足が止まった。
 空き巣にでも入られたのかと勘違いしてしまう程、室内は荒らされていた。
 山と積まれた書籍に巻き物。ゴミと紙一重の品々が足の踏み場も無く散乱している。それは卓の上も同様で、写真やメモのたぐいらしいものがごちゃごちゃと纏められていた。部屋の隅には中身が八分ほど入ったゴミ袋が寄せ集められているが、その総量たるや、この部屋の何処にこんなにも物が詰め込まれていたのかと感心する程。
 謹慎処分中のカカシの部屋が何故こうなっているのかとイルカは呆れつつも首を捻り、ついには処分を待つゴミ袋の多さに、空き巣よりもさらに深刻な事を連想してしまった。
「もしかして、ホントに身辺整理じゃ‥‥?」
「そんなに俺を遠くへ行かせたいんですか」
恐る恐る口に出してみたが、それをカカシに聞き咎められた。
「ちらかってて悪いんですけど、そこら辺りに座ってて下さい」
と、むっすりとした顔で示された場所は寝台だった。
 座る場所が寝台しか無いとは安い連れ込み宿よりも酷いが、押し掛けたも同然の客なので文句など出ようはずも無い。そもそも己の部屋とて他人様に威張れるものではないのだ。それに歩くだけで派手に舞い上がる埃と塵の固まりの上に敢えて座る気にもならないので、イルカは何度かお世話になった寝台に腰掛けた。ただ寝台の上は床よりはましという程度のもので、上掛けは乱れ雑誌が枕元で幅をきかせている。
「おじゃまします」
するとシーツの上に微かな温もりを感じた。
「‥‥もしかして、今まで寝てたんですか?」
「あ、まあねぇ」
見ればカカシは皺だらけのシャツを羽織っている。クシャクシャに乱れた髪と彼の裸の腹が見隠れする様子に、慌てて上着を羽織って玄関に出迎えられたのだとイルカは思い出した。
「謹慎中だって聞きましたけど」
「だから折角の休みだし、寝溜めしておこうかなって」
「謹慎は休みとは違うと思いますが」
「だけど家に居なきゃいけないから休みみたいなもんデショ」
「全然、違います」と呆れるイルカに、
「イルカ先生、変なとこでカタイんだから」やだなあと、カカシが苦笑した。
「修行でもしたらいいじゃないですか。筋トレ好きだって言ってたくせに」
「そんなこと覚えててくれたんですか。なんか先行き明るいなぁ」
イルカの皮肉をものともせず、朗らかな声を残してカカシは台所へ姿を消した。
 どうやらこの勝負は負けたらしいと、台所で何か準備が始まった音を聞きながら、イルカはぐるりと室内を見渡した。
「これでも大分片付いたんですヨ」
しばらくして手にカップを携えたカカシがイルカの横に腰掛けた。
「熱いですヨ」とコーヒーを手渡される。
「前々から片付けようとは思ってたんですけど、なかなか手をつける気になれなくって」
コクリとカカシがカップに口をつけた。
「でも今回ちょっと考えるところがあって」
そう言ったカカシを、ハッとしたイルカは反射的に見返した。それは即ち、と悪い想像が働く。
「そんな顔しなくても大丈夫ですヨ。僻地に飛ばされるから片付けてた訳じゃないから」
イルカが何を考えたか、カカシにはお見通しだったらしい。
「まとまった時間とれたし、いい機会だからコレきれいに並べようと思って」
カカシはそこだけはきれいに積み上げられた愛読書を顎でしゃくった。
「イチャイチャシリーズですか」
「そ。でも始めたのはいいんだけど、これが中々終わんないんだよネ〜。雑誌も買ってるからスゴイ数で。ついでに懐かしくて読んでたら止まらなくってさ」
「それで全然片付かない、と」
「片付ける前に謹慎終わっちゃいそうですヨ」
カカシは小さく肩を竦めた。
「片付けって、始める頃は意気込んでたりするんですけどネ」
「俺もよく片づけろって怒られてました。アカデミーに行く時間になっても探し物とかしてたり」
「へえ。そう言えばイルカ先生の部屋も結構凄かったですもんネ」
思い出したように笑うカカシに、ムッとイルカは唇を尖らせた。この子供じみた仕種が更にカカシの笑いを誘っているとはつゆとも気が付きもしなかったのだが。
「そう言うカカシ先生は何ですか」
「俺? 俺はキレイ好きですヨ」
「これで?」
「昔はすっきりとした生活だったんですヨ」
顎に手をあてながらカカシは何かを思い出すかのように天井を見上げた。
「俺ネ、昔は‥‥昔って言っても二十歳頃までかなぁ‥‥。その頃は荷物とかそういの、少ない方がいいと思ってたんですヨ」
「へぇ」
「任地の移動も多かったし。それにガキの頃野営地住まいだったからかな。その時はホント身の回りの物だけで」
身体ひとつって感じかな、とカカシは続けた。
「だから管理しきれない程の物って、正直、重荷だと思ってました」
一瞬その声が重く沈んだように聞こえたのは錯角か。
「物でも人でもネ、捕われ過ぎて、身動き取れなくなるのが嫌で。‥‥そういう生き方が性に合ってるんだって」
会った当初はまさしくそんな印象をカカシに抱いていたと、イルカは何とはなしに思い出した。だが一旦言葉を切ったカカシからは、やがて苦笑するような空気が伝わってきた。
「またそういうのが、忍らしくてカッコイイって思ってたんですよネ〜」
若かったのかな〜と、おどけたようにカカシは肩をすくめた。そんな気障な仕種が妙に似合うのもカカシの印象を冴えざえとしたものに見せていたのだったと、また思い出した。
「それが上忍師の話がきてから、ちょっと変わったっていうか」
「上忍師」思わずその言葉にイルカは反応した。
ナルト達の前にも何回も試験してるんですと、カカシ。
「今思うと恥ずかしい話ですけど‥‥俺、結構独りでキリキリするタイプだったから」
「カカシ先生が?」
「‥‥任務がさ、自分の予定通りに進まないと苛々したりとか。仲間つかまえて、アンタがなってないとか面と向かって怒鳴ったりして」
「まさか」
「だから周りと上手くいかなくて‥‥‥って当り前か。今思うと自分独りで何でも出来るって思い上がってたガキだったんですネ」
まるでそぐわない言葉にイルカは驚かされる。
「それでちょっと違う事やってみろって三代目がね。それが上忍師の話」
「‥‥そうなんですか」
「上忍師って柄でもないんだけどネ。それに初めは前線から後方に飛ばされたのかって三代目に喰ってかかったりして。悪いことしましたヨ。‥‥で、結局下忍に認定しなかったけど、俺それから暫く里に居着いてたんです」
そしてカカシは何を思い出したのか、小さく口元を綻ばせた。
「その時にさ、なんか変な力抜けてネ。普通に里で生活するのも悪くないって。そう思ったら何独りで焦ってたのかって。‥‥任務で認められないと居場所が無いって思い込んでたんですかネ。余裕のない人間だったっていうか」
 飄々と、まさにその表現がぴったりだと思ってきたカカシにも、そんな焦燥感の固まりだった時代があったとは。カカシほどの忍がとも思うが、居場所の無さに悶々とするのは、イルカにも慣れ親しんだ感覚だった。
 居場所欲しさに子供の頃は馬鹿を演じ、長じては女性の間を綱渡りのように移動してしてきた自分。任務への気負いに転じたカカシとでは比ぶべくもないが、それでもカカシの感じていた「居場所の無さ」にイルカは十二分に共感できた。
「それがさ」
カカシはイルカの感慨とは関係無く、今度はうんざりしたように肩を落とした。
「一旦いいやって思い始めると、物って増えるんだよネ〜」
大袈裟に溜め息がひとつ。
「それで謹慎中だし、丁度いいって思って片付け始めたらこの様で‥‥。あ、そーだ。イチャパラ要りませんか? 何故か同じのが二冊あったりするんですヨ」
「いえ、別に必要無いですし」イルカが即座に断ると、
「遠慮しないでよイルカ先生。待機中とか暇つぶしに持ってこいですヨ。僻地の任務の時なんか」
「俺、読むより実践派なんで、二次元はあんまり」
「そんなこと言ってるから長続きしないんですヨ、彼女と」
「大きなお世話です」
にっこり態とらしい笑顔を見せるカカシをイルカは睨み付けた。珍しくしおらしいと思えばすぐこれだ。
「イルカ先生とこにイチャパラ置いとけば、いつでも読めていいと思ったんだけどな〜」
「人んチに来てまでイチャパラ読む気なんですか」
なんでカカシに自宅で寛がれないといけないんだと続けそうになったが、うっかりと変な事を口走るよりはましだイルカは手渡されたままになっていたコーヒーに口をつけた。だが思いがけない薄味に、思わず「薄っ!」とカップから唇を離す。
「やっぱり?」
カカシが、悪い事をしたといわんばかりにこちらを窺ってきた。
「ゴメン、やっぱり二人分には足りなかったか。なにせ謹慎中で買い出しもままならないっていうか」
だったら出さなくてもいいのに、とコーヒーのお湯割りを飲まされたイルカは内心で文句をつぶやいたが、
「普段、水か酒だから客が来た時困るんですヨ」だが至極尤もな理由につい頷いてしまった。
「そう言われれば態々お茶出すような客、俺んとこだって来ません」
ついイルカも同意する。
「男の独り暮らしじゃあネェ」
「同感です。そう言えばナルトは牛乳置いとけって煩かったな。あの味の薄く無いやつ」
「成分無調整の方ですか」
「ええ、薄いと不味いって」
「賞味期限切れ平気で置いてる奴に言われたくないですけどネ」
ナルトをネタにひとしきり笑いながら、カカシに知られないように、イルカはそっと肩の力を抜いた。

‥‥‥もしかして、ホントに心配ないのかも‥‥。

 カカシの落ち着いた様子が、噂話程切迫した事態には陥っていないのではないかとイルカを楽観的な気持ちにさせた。例えそう思い込みたいという願望が混じっていてもだ。
 だがイルカが一人心の内で安堵の息をつこうとしたその時、別の意味でイルカを緊張させる言葉をカカシが吐いた。
「でもさ、イルカ先生」
イルカの気持ちを余所に、カカシはまるで何かのついでのように爆弾を落とした。
「ここまで来ておいて、話しはナルトの事だけ?」
「え?」
「此処、どこだか分ってる?」


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written: akiko.-2006