64 天国の場所
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「サスケ‥‥アイツ、お兄ちゃんコだったのかな」
まだまだカワイイよネ、とカカシは薄く笑った。 「で、どこに抜けたかまで広まってます?」 さりげなく、だがこちらを探るように切り出したカカシに、おとなしくイルカは答えた。 「‥‥‥音じゃないかって聞きました」 「うん‥‥まあ、今までの経緯考えればそうなるよネ」 「でも、あくまで噂で」 「いや、ホントですヨ。人の口に戸は建てられないって言うけど」 仕方ないネ、あっさりとカカシは認めた。よりによって木の葉の壊滅を企んだ音隠れに逃げ込んだのかと、イルカは目の前が暗くなった。 「じゃあサスケ、どうなっちゃうんでしょうか」 そう問うイルカに、「そこまでは俺も」とカカシはカカシは軽く頭を振った。 「そうですね。‥‥済みません、俺‥‥」 それこそ自分よりもカカシの方が知りたいであろうにと、イルカは己の迂闊さを呪わないではいられなかった。その狼狽がカカシにも伝わったのか、カカシは表情を和らげてイルカを呼んだ。 「でもそれで飛んで来てくれたんデショ」 「え?」 「俺にどんな処分が下るのか、心配して来てくれたんだ」 「‥‥俺は」 それにイルカは暫く躊躇ったが、 「結構長く里出てて。帰ってくるなりこの話聞かされて、それで‥‥」 そこで何故自分に連絡をしてこないのかなどと不条理な怒りをぶつけたのを不意にイルカは思い出した。連絡も何も不在の自分に連絡を寄越せなど土台無理な注文なのだと、ようやっと思い当たったイルカは、途端に穴があったら入りたいような心境に陥った。だがそれを知ってか知らずか、 「それで慌てて俺の処に来たと」 「いや‥‥だってカカシ先生が責任とって、訳分んない程遠くに左遷されるって聞いて」 「それはそれは」 「上忍資格剥奪とか」 「うわ」 「サスケ連れ戻すまで里追放とか。そんなの聞かされたら普通心配するでしょうが」 「確かに‥‥凄いですネ。俺も心配になってきました」 「冗談言ってる場合じゃなくて」咄嗟にそうイルカは言い返したが、 「うん。だからイルカ先生はスゴク心配して来てくれたんだよネ」 カカシが念を押したが、己の慌てぶりを指摘されても今更なのだから仕方が無い。 「はあ、まあ」 だからイルカはおとなしく頷いたのだが、カカシの言わんとした事は少々イルカの想像とずれていた。 「ありがとうイルカ先生。アンタが血相変えて飛び込んでくる程俺を心配してくれるとは、正直思わなかったな」 「なっ?」 「そういう事デショ」 念を押すカカシの笑顔がいやに眩しい。 「ちっ、違います!‥‥飲み友達で一応尊敬すべき先輩だから。それにナルトの上司だし」先程とは違った意味で慌てたイルカだったが、 「それだけ〜?」 からかいを含んだカカシの視線にイルカはぐっと言葉につまり、やがて観念したように肩から力を抜いた。 「そうですよ‥‥自宅謹慎だなんて大事だし。さっさと左遷されて、もう会えないかもしれないって思いました。‥‥それなのにアンタのんびり寛いでるし、なんか俺だけ騒いで莫迦みたいだ」 溜め息とともに愚痴が零れ出たが、 「ごめんネ、イルカ先生」 される必要の無い謝罪を受けると、愚痴ばかりの己が恥ずかしくなってくるから不思議なものだ。 「あ。いえ、そういう事じゃなくて。‥‥俺一人で慌てて」 「い〜え。心配してくれて嬉しいですヨ」 ここまでくるとイルカとしてはもう何も言う事が無くなってしまう。取りあえずは気を取り直したが、さりとてカカシの処遇が気になるのには変わり無い。 「それで、決まったんですか? 処分」 「ああ‥‥まだはっきり決まってなくて。それに処分っていっても一緒に任務に出た時に里抜けされた訳じゃないしネ」 里抜けは、それを出した者の家族は元より、その累はどこまで及ぶか測り知れない。直属の上司もそれ相応の責めを受けるし、責任を取る為に一族の人間が後を追う場合もある。凡そ同里の人間に刃を向けるのと同等の罪と看做されるのだ。それほどに里を抜ける罪は重い。ましてやサスケは血継限界の一族。さらに抜けた先が大蛇丸の許となると、里の制裁がどこまで重くなるのかと嫌な想像ばかりが先走ってしまう。 「サスケの家系を考えると、どんな重い処分かって思ったんですけど」 イルカが正直なところを漏らすと、カカシはどこか遣る瀬なさそうに目を閉じた。 「それが今回は、その家系のお陰で軽そうなんですヨ」 それはどういう事なのかと思わず目で問うと、 「これ」 カカシは無造作に垂れ下がっていた前髪を持ち上げた。左目を覆い隠している前髪が払われると、そこにあるのは目蓋の上を縦に走る傷と紅い瞳。 「この眼が、ネ」 「‥‥‥写輪眼」 「そう」 噂には聞いていても、それを目の当たりにするのは初めてだった。これが写輪眼なのかと興味半分、軽い驚きが走る。 だが両眼を晒すカカシの顔がイルカを落ち着かなくさせた。見知らぬ男が目の前にいるかのような違和感。だから撥ね上げられていた前髪がまた左眼を覆い隠し、途端に見慣れたカカシの顔になった時、イルカは知らず安堵の息をついた。 「これの所為で俺を手放せないのヨ、里は」 「眼の所為ですか?」 「サスケがいなくなった上に俺までどうこうしたら、無くなっちゃうデショ、これ」 わざととらしく小首を傾げながら、おどけたようにカカシは己の左眼を指差した。 「もう、うちはの一族は、サスケとイタチしかいないからネ」 「そんな」 カカシの言わんとするところを察して、イルカは否定の言葉を吐いたが、カカシは構わなかった。 「ホントですヨ。里にとっては凄いお宝ですから。写輪眼をみすみす余所に出す訳にはいかないんです。これはネ、俺以上に価値があるんですヨ。‥‥嫌な言い方だけど、だからうっかり俺を僻地に飛ばしたり出来ないんです。‥‥‥安心した?」 あくまでも穏やかなカカシの物言いにイルカは咄嗟に噛み付いた。 「でもっ! でもそれだけじゃ無いです! カカシ先生程の人を里から遠ざけるなんて! それこそ宝の持ち腐れだから‥‥だから!」 勢い込むイルカだったが、それにもカカシは少し困ったように微笑むだけだった。 「励ましてくれるんですか」 「ホントの事です!」 「うん、そう言ってくれるのは嬉しいです。‥‥だからさ、俺を本当に処分するつもりなら、この目玉くり抜いた後だから」 最早イルカは押し黙るしかなかった。 「このままだってのは俺の処分も軽いもんだって事なんですヨ、きっと」 淡々としたカカシの物言いに、これもまた里の真実であるのが察せられる。里の勢力の維持が至上命題と分かっていても、その非情な一面を改めて見せつけられればさすがに堪えるものがある。だがそれを簡単に否定できないのは、イルカもまたこの世界に身を置く人間だからだ。 「だからさイルカ先生。あんまり心配しなくても俺は大丈夫ですヨ。‥‥そんなに心配ばっかりしてると、眉間の皺癖になっちゃうヨ」 これではどちらがが心配をかけているのか分ったものではない。 「でも」 「心配してくれたんデショ、俺を。それだけでも今回は収穫ありです」 「アンタ、またそんな」 「どうせだから、俺が左遷されたら一緒に行くとか言ってくれてもいいのに。俺はイルカ先生が一緒なら何処でも天国ですヨ」 カカシの面白くも無い冗談を上手くあしらう事もできず、イルカはやりきれなさと安堵の混じった長い溜め息をこっそりとついた。 だがこちらへの気遣いを無碍にもできない。本来ならばこちらが気を遣ってしかるべきなのだ。だからイルカぎこちなく笑ってみせたが、どうにも奇妙な顔になっていただろう。 「じゃ、一安心ってことで上がってくださいヨ。何時までも立ち話もなんだしネ。お茶ぐらい出しますから」 その一言でイルカはやっと玄関先で大声を張り上げていたのを思い出した。 「あっ、と、スイマセン‥‥喧さくしちゃって」 せめて外に聞こえていない事を祈るしかない。男同士の痴話喧嘩とでも誤解されたら、それこそ左遷話に何かしら別の尾ひれがつきそうだ。 「折角此処まで来てくれたんだから上がってヨ」 カカシに腕を掴まれて引き寄せられそうになり、イルカはつい反射的に振払おうとしたが、存外に強い力でその動きは封じられた。 「頼みますヨ。少しでいいから居て下さい」 殊勝に聞こえるそれを振り切れる程薄情ではない。 イルカはそれにおとなしく頷くしかなかった。 |