63 天国の場所
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天国の場所を、お願い、空けておいておくれ。
「知ってるか、イルカ?」 里を席巻する噂に、イルカは眼を剥いた。 ドンドンドン。 昼日中の為か、単身者が多いであろうこの集合住宅はひっそりとしている。だからという訳でもないがイルカは遠慮無しに玄関の扉を叩いた。 「カカシ先生! 居ないんですか!?」 扉をぶち破る勢いで叩き続けたが、何の返答も無い。 「くそっ‥‥留守か」 イルカは悪態をついた。 だがいくら自宅謹慎とはいっても見張りがついている訳でもなし、冷静に考えてみればカカシが大人しく自宅に閉じこもっている確率は五分程度。慌てふためいてカカシの部屋を訪ねてもカカシに会える保障は無かったのだ。 「どこ行ったんだ」 後先考えずに行動した挙げ句とんだ無駄骨に終わったらしいと、徐々に冷えた頭を抱えて、イルカは扉の横の外壁に背をつけてずるずるとしゃがみ込んだ。 現在里を揺るがす話題をイルカが知ったのは今し方。 曰く、うちはの生き残りが里抜けを謀り追忍部隊が送られた。その中に、はたけカカシも居た。だが里抜けの阻止は出来ず部隊は撤退。その責任をはたけカカシが取るらしい、云々。 イルカは同僚から仕入れたばかりの、噂と紙一重の情報を反芻しながら舌打ちした。それでも行き場のない気持ちが納まらず、腹いせに扉のひとつでも蹴り飛ばしてやろうかと思った時、ギィと軋んだ音とともに突然玄関が開かれた。 「イルカ先生」 イルカが顔をあげれば、半分程開いた扉の向うに、シャツに袖を通しながらこちらに笑いかけるカカシの姿。一緒に軽く腹筋の割れた裸の腹も覗いている。 「どうしたんですか? 遊びに来てくれたの?」 のんびりと応えるカカシを見た途端、イルカの中の神経が一本ブチリと切れた。 「アンタねぇ!」 立ち上がり様に叫びながら、カカシを押し退けるようにしてイルカは狭い三和土に上がり込んだ。遅れて扉が閉まる。 「アンタ何暢気な顔してんだ! こんな時に!」 「え? どうしたのイルカ先生。慌てて」 「慌てるも何も‥‥!」 荒い気を吐くイルカとは対照的にカカシは至極落ち着いている。その落ち着きぶりがイルカの癇に触った。 「カカシ先生! アンタ何処に飛ばされるかも分んないのに、俺にも知らせないで!」 「飛ばされる‥‥?」 怪訝な顔のカカシを無視し、頭に血が昇ったイルカは一気に言いたい事を捲し立てた。 「すごい噂になってんのに俺知らなくて。‥‥なんでこんな大変な時に俺に連絡してこないんだ!」 「えっと、何言って‥‥」 「アンタこそなんだよ! ホントは俺なんかどうだっていいんだろアンタ!」 余りのイルカの剣幕に怖れをなしたのか「チョット待ってヨ」と、カカシは慌てた様子でイルカを制した。 「あのさ、イルカ先生。俺の事で何か聞いたの?」 何かって何だ! ともう一度怒鳴ってもよかったのだが、これではまるで自分一人できりきり舞いしているようだと腹立たしさすら覚えたイルカは口を閉ざした。 カカシも思うところがあったのだろうか、それから暫く二人は何を言うでもなく対峙していた。だが、最初に口を開いたのはカカシだった。 「もしかして、サスケの里抜けの事とか‥‥」 返事をするのさえ腹立たしく、イルカは半ば意地で押し黙る。するとカカシは沈黙を肯定と受け取ったらしい。 「イルカ先生‥‥もしかしたらとは思ったけど、サスケの里抜け、広まっちゃったんだ」 「‥‥‥ええ」 「それで責任とって、俺が左遷されるかもしれないって?」 「‥‥まあ、そんなところです」 「ごめんネ、心配させて」 カカシから労るように言われ、今度こそイルカの押えが効かなくなった。 「アンタなんでそんな落ち着いてられるんだ!? 里抜けの責任だろ、どんな処分が下るかも分らないのに」 「うん」 「それにサスケはうちはの一族だろ。処分だってどこまで重くなるか‥‥」 里の誰もが知る血継限界の一族のその凄惨な末路。その生き残りが里を抜けるのは、他の忍のそれとは自ずと重みが異なる。 「うん、サスケにはネ、可哀想な事したヨ」 「サスケはって、アンタが‥‥」 カカシの立場を慮る言葉を吐こうとしたイルカは、そこで自分が全くと言っていい程サスケ自身を気にかけていなかったのに気がついた。サスケよりも、サスケの里抜けによる監督不行届きの処分がカカシに下る事ばかり気にしていたのだ。 サスケもナルトと同じようにアカデミーでの自分の教え子。自ら望んでの行動とはいえ、里を抜けたサスケの行く末よりもカカシばかりを案じた自分に、イルカは愕然とした。 「どうしたの? イルカ先生」 するとカカシは顔色を無くしたイルカを訝しがった。 「俺‥‥‥」 ナルト同様、明るいばかりの将来が開けているとは思えないサスケを、ほんの少しでも支えてやれればなどと考えていた自分に、思い上がりもいいところだと腹が立つ。支えるどころか、きれいさっぱり念頭から消えていたというのに。それなのに「俺の生徒」とは、全くもって口幅ったい。 不意に、幼いながらもど孤高な影を纏った、張り詰めた瞳で前を見据えるサスケの顔を思い出した。 「俺、アンタの事ばっかりで‥‥サスケの事考えもしなかった‥‥。アイツも俺の生徒だったのに」 「そんな、いちいち皆の心配してたらもたないヨ。アイツらを俺が見てるのは当たり前なんだから」 「でも‥‥」 「‥‥サスケにはネ、ホントに可哀想な事したんですヨ。アイツ、イタチが里に戻ったの知っちゃって。その後行き会ったらしいんです」 カカシは後頭部を掻いた。 「タイミング悪いっていうか、こっちの対処も後手に回って。‥‥‥イタチ、イタチって恨んでてもイイこと無いって言ったんだけど、結局聞いてくれなかったしネ。‥‥なんだかなぁ、俺の説教って説得力無いんですかネ」 そう力無く続けたカカシに、イルカは相槌すら打てなかった。 |