55  揺れ

「観客付きなんて‥‥アンタも大概趣味が悪い」
観客? 何それ?
「えっ‥‥!?」
堪らずカカシは、イルカから躯を離した。
 そんなカカシをじっと見据えていたイルカは、やがて目蓋を閉じ小さな溜め息のようなものを落とした。同時にイルカから発されていたカカシを圧する空気がすっと消える。
「それじゃ、皆さんによろしく」
そう言い残すとカカシを冷たく一瞥し、イルカはあっさりカカシに背を向けた。それを引き止める術の無いカカシは、イルカの背を大人しく見送るしかなかった。だがその姿が完全に見えなくなってもカカシには全くイルカの行動が理解出来なかった。
 ただひとつハッキリしているのは、何かの理由で碌な話もしないままにカカシを置き去りにしたことくらいか。分っているのは彼が穏やかでなかったこと。

‥‥イルカ先生、何で怒ってるんだろ。

 短いが緊迫したイルカとの時間が相当に堪えたのか、はたまた緊張の糸が切れたのか。カカシは立ち眩みのようなものを覚えて躯が軽く傾いだ。するとその時。
「危ない」
「おっと」
腕を左右から掴まれ、揺らぐ躯が両脇から支えられた。
見れば右手に紅。左手にアスマ。
「なっ‥‥なにオマエらっ!?」
己とイルカ二人の世界に浸っていたカカシは、この思い掛けない第三者の出現に度胆を抜かれた。そんなカカシにアスマが呆れた声を出した。
「倒れんなよ。振られたくらいで」
「そうよ。ビックリしちゃったじゃない」
紅が心配そうな顔をしつつも唇を尖らせた。
「何? オマエらどうして?」
だが、驚いたカカシにはそう聞き返すのが精一杯だった。
「あのね、カカシが浮かれた顔で出ていったから」
イルカの呼び出しが気になったのと紅が小さく舌を出せば、
「で、オマエを応援してやろうと思ってな」
アスマが引き継いだ。
「あっ‥‥観客って」
ここでやっとイルカの言った観客の意味が分かった。この出歯亀二人組みを指していたのだ。それを理解した途端、カカシはカッーと体温が上昇するを感じた。
「もしかしてオマエら‥‥‥見てたのか‥‥」
二人にはこの場面がどう見えたかは分らない。それでもこの一部始終を二人に覗き見されていたのかと思うと、羞恥の余り最後は言葉にすらならなかった。
「ごめんねカカシ。見ちゃった」悪びれず言う紅。
「マズイとこ見ちまって悪かったな」
可哀想になぁ、とアスマは全然実のこもらない慰めを口にした。
「まっ、いい機会だから潔く諦めろ」
「何だと!」
聞き捨てならないアスマの台詞に思わずカカシは噛み付いた。それにアスマは「おや?」と眉を上げた。
「イルカに別れたいって言われたんじゃないのか」
「んなこと言われてない!」
内心では「まだ付き合ってもない!」と叫んでいたが、それは己の矜持の為に懸命にも飛び出しはしなかった。
「じゃあ、何の話してたの?  イルカすごい恐い顔してたけど」
毛を逆立てて否定するカカシに紅がつっこむ。
「オマエらが居るの気付いてたヨ、あの人。だから話も何もないんだけど」
そう。結局肝心の内容には触れず終いだったのだ。
初めからイルカの様子が剣呑だったのは確かだが、二人が居た為に余計イルカの機嫌が斜になったのだけは間違い無い。
「やだ。気付かれてたんだ」
「へえ。結構やるな、あの中忍」
邪魔をした上に暢気な二人がカカシには無性に腹立たしい。
「そうだヨ! その中忍に俺はいいようにされてんだヨ!」
肩を怒らせ珍しく声を荒立てたカカシに、やっと二人は彼に余裕の欠片すらないのを知った。
「‥‥ごめんね、カカシ」
「スマン。‥‥‥悪かった」
「‥‥‥」
気まずい沈黙が三人におりた。
カカシは激昂し、いら立ちを二人にぶつけた自分が気恥ずかして。アスマと紅は己の無神経振りを恥じて。
 むっすりと黙り込む三人に冷たい風が吹き付けた。もうすっかり陽は落ち、雲行きは徐々に怪しくなっている。
「雨になりそうね」
紅が呟いた。
「その前に、飲みにでもいくか」
アスマは曇り空を見上げ、紅は窺うようにカカシを見た。
「オマエらの奢りネ」
 心無しか小さく畏まっている二人を横目に、カカシは返事も聞かずに歩き始めた。


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