49  夜明け前

 屠った敵をそのまま放置しておける道理がない。
「じゃ、埋めときますか」
 カカシの一言で処理の方法が決まった。

 処理、と言えば屍体を点検し確認後の処分までを指した。
 まず確実に絶命しているのを確かめる。
 何が飛び出しても不思議はない忍の身体に油断は禁物。
 携帯している忍具を改め、爆発物や火薬などの危険物を慎重に取り除かなければならない。うっかりと近寄ったあげく手負いの人間に反撃されては堪らないからだ。
 今回は相手から何かを奪う目的がある訳ではないので、それほど念入りに行う必要はないが、それでも気が抜けないのには変わり無い。さらに任務報告書への記載義務があるので事後も神経を使う。
 ましてや相手が血継限界だの特殊な体質だのと特別な場合は、その取扱いは一段と厳しさを増す。屍体自体を研究用に持ち帰る、などというぞっとしない任務が追加される場合もままあるのだ。
 戦闘を終えた後の最後の一仕事は、肉体的にも負担がかかる。
 そして自分が為した行為の重さを、突き付けられるのも今だ。
 戦闘中は自分が生き延びるのに必死でも、それが終われば重い痼りが腹の奥底に巣食う。
 だから何回やっても処理は気が重い。
 精神的にも肉体的にも大きな負担のかかる、いつまでたっても慣れるはずのない嫌な、否、苦手な仕事だ。
 いつ自分が処理される側に回ってもおかしくはないと、無惨な姿を曝すかつての敵に自分の末路を見い出しそうになり、イルカはきつく目を閉じた。
 カカシはというと少し離れた場所で、イルカと同じように屍体の検分を行っている。
 本人の印象とは裏腹なほどカカシの手は勤勉に働いている。こんな作業もカカシは手際良くこなし、その動作は見ていて小気味いい程無駄が無い。
 もし自分が検分される側に回る時は、カカシのようにテキパキと作業を進める人間にお願いしたいとイルカは思った。
 屍体など気味が悪いと、爪先でひっくり返すような扱いだけは避けて欲しい。
 するとそんなイルカの微かな願いを知ってか知らずか、カカシは検分中の身体を無造作にひっくり返した。どさ、と重い音がする。

‥‥やっぱりヤダな。

 取りあえず今回は生き延びのだから余計な事は考えまいと、イルカは目の前の作業に集中した。
 ようやく白んできた空の下、ただ早く終わらせたい一心で黙々と身体を動かし続けた。



 処理を終えるまでは張り詰めていた気持ちも、現金なもので、目の前から敵の屍体が無くなってしまえばすぐさま弛んでいく。
 鬱蒼と木々が茂り昼尚薄暗い森の中には、虫の音の変わりにチチチと澄んだ鳥の泣き声が木霊する。
 休憩をと誘ってくれたカカシのお陰で、今は並んで大きな幹の根元に腰を下ろしている。
 イルカが無意識に水筒に手を伸ばそうとすると、「もう無いデショ」とカカシに指摘され、己の水筒の中身が空なのを思い出した。先に見送った二人に自分の水を分け与えたのを見事に忘れていた。里が近いからとさして気にも留めずにとった行動だったが、そんな些細なところまで見ていたとは。カカシの観察力には驚かされるばかりで最早グウの音も出ない。
「どうぞ」
 カカシがイルカに己の水筒を差し出してきた。さすがにカカシより先にはと遠慮すると 「それじゃお先に」
カカシは口布を下ろし水筒に口をつけた。それからまたイルカに水を勧めてくれたので、今度は遠慮せずにそれを受け取る。乾きを意識してはいなかったが、いざ水分を補ると甘露と感じる程に旨かった。咽の乾きに、己がいかに疲弊していたかを思い知らされる。
「有難うございます」
カカシに水筒を返しながら、不意に口布の無い彼の顔が当たり前になった自分にイルカは気付いた。口布を下ろしたカカシを物珍しいと思っていたのは、それほど昔ではないはずなのに。
 口布を着けていなければ、三白眼以外にも見るところが出来ていいだろうにとイルカは思う。実際それが無ければ三割増しで好感度が上がる顔だ。口布付きで片目が隠れている状態のカカシは、茫洋と得体の知れない雰囲気を醸し出しているので尚更。優男とまでは言わないが、中々甘い顔だちをしているのに勿体無い。
 微かに微笑みの形をつくるカカシの唇を、イルカはぼんやり見つめ続けた。
「どうかした? イルカ先生」
まさかカカシの顔について考察していたとは本人に言えるはずもなく、イルカは曖昧に笑った。
「俺の顔に見愡れてたとか、嘘でも言って欲しかったんですけど」
ぺたりとカカシが骨張った手で己の頬を押さえた。
 イルカはカカシの軽口に笑って応えながら、今自分の横で穏やかに笑うカカシの指がどれほど鮮やかに動いていたのかを思い出した。
 人の生き死にや非合法な活動を行う任務に携わると、どうしてもこれが最善だったのかと、迷いを引きずってしまう。今とて同じだ。目の前から敵と看做した者が消えれば、今度はその正当性が気になる。喉元過ぎれば熱さ忘れる自分も大概に甘いのだが、こればかりは割り切れない。
 任務だから忍だからと、自分よりも大きな存在に下駄を預けてしまえばいいのは分かっていても、自問自答の波は引いては押し寄せ自分を悩ませる。結局飽く事の無いそれに、終いには自分が嫌になるのが落ちなのだが。こんな葛藤を抱えながら、これで上忍を目指したりアカデミーで教鞭を執っていいのかと思ったりもする。

‥‥カカシ先生はどう思ってるんだろ。

 里随一の実力者と言われるこの男は、一体どんな答えをその胸に秘めているのだろう。口布と額宛で鎧われたその下で、彼は何を感じているのか。
 鮮やかに敵を屠るその手が、イルカの縺れた思考をも鮮やかに断ち切ってくれるのではないかとあらぬ期待を抱いた。
「イルカ先生?」
訝し気に名前を呼ばれ、イルカは己の思考の海から一気に引き揚げられる。
「あ、はい」
「ホントにどうかした? 傷、痛むとか?」
「いえ。‥‥‥ちょっとぼんやりして」
ふうん、とカカシは頷いた。
「やっぱり俺に見愡れてたとか、言ってくれるのかと思ったのに」
「違います。ちょっと処理に疲れたんでボーっとしてただけです」
「ああ、実際あれは疲れますネ。検分は特に」
アイツらにも教えとかないとナ〜、とカカシがぼやいた。
「アカデミーで教えといてくれればいいのに」
「実践で徐々にって」
「そりゃそうですけどネ。でも教えてといても害は無いような気もするけどな」
「勘弁して下さい。まだヒヨコですよ」
「それもそうですかネェ」
ザブザ達に墓までつくった俺が何を言ってるんだと、カカシが密かに自嘲した事をイルカは知らない。
「でも俺、やらないで痛い目見たことあるのヨ。これが」
「カカシ先生が?」
その時の事を思い出したらしくカカシは苦虫を噛み潰したような顔をした。
「マニュアル通りに検分しようとしたら、そんな面倒こと止めとけって先輩に、っていうか三代目ぐらいだから大先輩だよネ」
「面倒って‥‥‥。そりゃ面倒ですけど」
「そこの池に沈めとけーとか、纏めて燃やすから積み上げとけーとか、平気で言うんですヨあの世代。一度ロクに確認もしないで火遁使ったら、起爆札持ったままの屍体が爆発しちゃって」
結末を想像したイルカは思わず渋い顔になる。
「それどころか、まだ死にきれてないのがいたらしくて」
「うへ」
「突然飛び上がって転げ回って、こっちも驚いたのなんのって。で、結局そいつは焼死」
熱かっただろ〜ネ〜とカカシは思い出したのか嫌な顔をする。予想以上の結末にイルカも口の中が酸っぱくなってきた。
「やっぱり時代が違うっていうの? やる事なす事大雑把っていうか。‥‥俺なんか神経質なヤツとか言われたことありますヨ」
「カカシ先生に神経質、ですか」
似つかわしくない形容詞にイルカは驚いた。
「大戦中ってそんなんだったのかなぁ」
「当たり前だったんでしょうネ。一々屍体検分してる状況じゃないだろうし。規定も細かくなかったしネ〜」
 忍界大戦終了後、捕虜の交換と待遇の協定をはじめ他国間の条約規定が現在の形に整えられた。屍体処理など細かい規定が確立したのもこの頃。それには随分と、プロフェッサーと渾名された三代目の尽力があったと聞く。
「それで規定に則り処理をしようとしたカカシ先生に、その大先輩は」
「そう。何やってんだメンドクセーって、火遁でボン!」
「世代が違うからってだけじゃ括れないですね。伊達に大戦生き延びてないなぁ」
「そ、スゴイよネ〜。戦中派っていうの?」
「三代目とか」
「五代目も。でも忍界大戦っていっても長過ぎじゃない。どこから戦中っていうんだろ?」
「一応初代様の前あたりからです。だから木の葉つくったってアカデミーでは教えてます」
「一応?」
「里の歴史史観なんて結局里の都合が良いように創ってあるだけですから。初代様なんて木の葉だけじゃなくって、火の国を救った英雄扱いです。百年ぐらい後には神話になってますよ、きっと」
「まあ隠れ里創設するってあたりがもう別格ですからネ」とカカシは頷いた。
「そういえば、初代様の足跡を追うとかって特別番組やってたな」
「それって五代目の足場強化ってとこですかネ」
 初代火影の孫にあたるのが五代目綱手。
 出自は申し分なく三忍の名を戴くに十分な実力者ではあるが、如何せん里を離れていた時期が長い。里内部の混乱の収束を願うあまり、些か強引ともいえる手法で綱手を五代目に据えた上層部だが、そのやり方を問題視する向きと、他に擁立したい人材を抱えた別の派閥には不満の残る結果となった。
 火影と何らかの繋がりがあれば、血の濃さで解決できる政治的問題が多いのもまた事実。火影の地位に座する者に連なれば、それは自己のみならず一族一門の繁栄にも繋がる。
 三代目火影を排出し、少なく無い影響力を里に与える猿飛の一門が表立って異義を申し立てなかった為に丸く収った感もあるが、跡目争いの火種は其処彼処に燻っている。
 大蛇丸の木の葉崩しは、木の葉を壊滅にこそ追い込めなかったが、そこかしこに大きな傷を残していった。
「その番組見たんですか?」とカカシ。
「見とけって通達出回ってましたけど、違う局見てたかも」
「面白く無さそうだよネ〜」
「アカデミー通ってるなら仕事だと思って見たんでしょうけど。そう言えば、初代様がえらいイイ男につくってあったって聞きましたけど」
「さすがプロパガンダ」
「テレビって怖いなぁ」
二人はひとしきり笑った。
「でも俺、テレビ無しの生活って考えられない」とイルカ。
「深夜営業の小売店とか」今度はカカシ。
「こういう事言うと、だから若いモンはって叱られるんですよね‥‥。昔任務で一週間ぐらい野営した時、テレビ見てーって愚痴ってたら、こんな処にテレビなんかあるかって、すっげえ怒られたことありますから。でも俺、野営地に何年間なんて戦闘に参加したことないし」
そんな経験があるのは最低でも俺達より一回りくらい上の世代ですよね、とカカシに同意を求めると、
「俺、野営地暮し長いですヨ」
「え?」
何気ないカカシの一言にイルカは耳を疑った。
「俺、ガキん時ずっと野営地に居たんですヨ。っていうかずっと戦地暮しで」
別に齢サバ読んでるとかじゃなくて、とカカシは前置きをしてから
「なんか気が付いたらそこに居たんで、何も不思議には思わなかったんですけどネ」
「‥‥‥」
「大戦も終わりに近かったけど、毎日大所帯で賑やかでしたヨ」
その頃を懐かしむかのようにカカシは笑った。
「だからかなぁ。食べ物とか好き嫌い無いの」
「そうですか‥‥」
 幼くして中忍に昇格したと聞いていたが、まさか大戦の経験者だったとは。ならば本当に幼い頃から戦場に立っていた事になる。
 子供を戦場に追い立てた里に、さすがにイルカも抵抗を感じるが、それ以上に戦場を日常としていたカカシの幼い頃を思うと、胸を突かれるものがあった。
 それなのにアカデミー生に処理を教えるなんてと簡単にカカシを否定した自分にヒヤリとした。カカシは軽く流してくれたが、そのアカデミー生と同じような年頃で既に一人前の忍であったカカシの過去をすっかりイルカは忘れていたのだ。
 己の迂闊さと甘さが憎らしい。
 以前カカシが、自らの出自がはっきりしないと語っていたのを思い出す。
「でね、五代目の事はそれぐらいの時から知ってるんで、頭が上がらないっていうか‥‥だから今でもガキ扱いされちゃうんですけどネ」
カカシは笑った。話が逸れた事にイルカは秘かに安堵した。
「この任務の拝命の時も、お前も大きくなったネェとか言われちゃいましたし」
「うわ。やっぱり五代目って結構歳なんだ。あんなに綺麗なのに。そういえばナルトなんか綱手のばーちゃん呼ばわりだもんな」
「アンタ何期待してんですか。いくら牛もビックリな胸でも自来也様と同じくらいの歳なんですから」
若作ってんですヨ、と口を尖らせるカカシに、
「別に五代目をどうこうなんて、怖れ多い」
「そうですか〜?」
「万が一そんなことがあっても、出直して来いとか言われそうです」情けない意見はイルカ。
「確かに。十年早いとか叱られそうですよネ。それにあの人凄いタフそう」カカシも同意した。
 カカシをガキ呼ばわりする女傑にちょっかいを出すほどイルカは大人物ではないのだ。間違ってどうこうする機会があったとしても、立ち往生で自身喪失か、はたまた興奮の余り早業で終わるとか、余り嬉しく無い結末が予想される。どちらにしてもイルカでは役不足だ。
「でも一回ぐらい埋もれてもいいかも」
「へ?」
「ホントに窒息死出来るかな」
テヘーとだらしない笑顔をイルカが見せると、カカシは呆れたようだった。
「‥‥そんなにいいですか? 巨乳」
「無いより有るに超したことはないです」
「俺、結構胸あるヨ」
「筋肉でね。俺は柔らかい手のひらサイズが好みです」
「嘘付け。このロリ顔、巨乳好きが」とカカシは切り捨てたが、
「それは男の性です。カカシ先生」イルカは動じない。それにカカシはつまらなさそうに鼻をならした。
「でもさ、俺は巨乳より、イルカ先生の方がいいヨ」
「へ‥‥‥」
「巨乳じゃないけど、俺でどう?」
さっきまでの薄ら笑いを消したカカシが、イルカを見ていた。


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