47  夜明け前

 立ち篭める火薬の匂い。
 あれほど濃密に感じた草木の匂いを忘れさせる、鼻がおかしくなるほどの血臭。
 イルカは勿論同行した二人も、どこかに大なり小なり手傷を負っている。いつまでも整わない己の荒い息遣いが忌々しい。
 その中に一人、常と変わらぬ空気を纏い、自分が屠った敵の中に佇む男の姿。
 その男、カカシの周辺だけが夜の闇に浮き上がって見えた。
 爆発によって抉られた地面に膝を付き肩で息をするイルカは、その姿に焼け付くような羨望と、胸を焦がす程の嫉妬を覚えた。



 上忍一人と中忍三人のフォーマンセル。
 任務の内容を考えると実際は同じ編成をもう一班欲しいところ。それを半分の人数でこなせと言って寄越すのは、里の深刻な人材不足とこの班の隊長が「写輪眼のカカシ」に依るところが大きいと嫌でも分る。
 抜け忍崩れが野盗と化し、それが瞬く間に大所帯を築く程になった。いい加減目を瞑っておくには被害が大きすぎるとの前情報は、大きくその内容を違えるものだった。
 野盗の集団のはずが、待ち構えていたのは手練の忍。
 今だ木の葉の領内に残る他国の草により、足腰の弱った木の葉とその表看板でもある「写輪眼のカカシ」を狙うならば絶好の機会との情報でももたらされたのだろうか。本来の目的である野盗集団は、カカシを狙う他国の忍に既に殲滅された後だった。野盗と丸ごとすり変わった忍の集団が待ち受ける中に、飛んで火に入る夏の虫とばかりに飛び込んで行ったイルカ達フォーマンセル。
 戦闘は静かに始まり、だが苛烈を極めた。
 それでもイルカ達が持ち堪えられたのは、ひとえに「写輪眼のカカシ」の力ゆえ。
 今回の任務のカラクリと背後関係を探るべく敵国の忍が捕縛されている。
 今後の里同士の交渉の手駒に使えるのであらばと捕虜にされた数は多く、そしてそのほとんどがカカシによって為された。
 自分の命を守る為、形振り構わず敵を屠ったイルカ達と比べ、その余裕のある戦いぶりに改めて力量の差を突き付けられる。
「出来る限り生かして捕まえといたから、尋問部忙しくなるよネ〜」
この場にそぐわぬ間伸びしたカカシの、余裕さえを感じさせる声。
「今の内に止血とかしといてネ」
 軽やかにそう告げるカカシはくたびれてはいるようだが、手酷い怪我はない。それに引き換えイルカを含めたその他三人は、皆手傷を負い疲労困ぱいといった態で荒い息を吐いていた。内一人は、早く木の葉に戻ってきちんとした治療を施してやりたいほど傷が深い。
 イルカは木の葉崩しの折に怪我を負ったばかりの左腕をご丁寧にまた傷めた。あちらこちらにある擦過傷が肌に血を滲ませ、乾いた土に塗れた躯が重い。そんな己の不甲斐無さに地団駄を踏みそうになる。
 そんなイルカ達を余所に、カカシは捕虜の護送要請をするべくさっさと忍鳥を飛ばしている。
 部下として配属されたイルカ達に、事後処理に頭を悩ませる間も与えず次々と指示を飛ばし、一人涼しい顔で帰投の順路を浚う。その手際の良さに、また混然とした気持ちが込み上げてきた。嫌が応にも突き付けられるものがある。

‥‥‥格が違う。あの人とは。

 格の違い。
 そしてそれを認めざるを得ない事に伴う嫉妬。そこからイルカは目を背ける事がどうしても出来ない。
 ナルト達の中忍試験に際しても彼との差を思い知らされた。
 彼等の実力を過小評価していた自分。それに引き替え彼等を中忍選抜試験に推薦してその慧眼ぶりを知らしめたカカシ。あの時はナルトの上司だからと自分を納得させ、妬みに燻る火種をどうにか鎮めた。
 だが今は純粋に、彼の忍としての力量とその才に、胸を焦がす程嫉妬している。
 別にそれはカカシが初めてという訳ではない。
 今までも、己の至らなさと才の不足に焦り、結果羨望の眼差しを向けてきた人間は沢山いた。それに血継限界だ一子相伝の秘術だと、初めの一歩から大きな差がある人間がごろごろしているのは動かし難い事実。それでもここまで他人と己との能力の差に打ちのめされる事はなかった。
 伸ばせば手が届く所に、己には手が届かない程の高みに存在する人間がいる。
 自分に無いものを持ち合わせるカカシを、憎悪すれすれの気持ちで見上げた。
 果たして、敵と認識した相手にもこれ程までの感情を抱いただろうか。
 イルカは腹立ち紛れに、いつ付いたのかも分らない血糊をアンダーで拭った。



 待つ事数刻。捕虜の護送班が到着した。
 最も近くにいた部隊が派遣された為、予想よりも早く護送班が到着したのにイルカは胸を撫で下ろす。
 カカシと護送班の班長と思しき人間のやり取りが背中越しに聞こえ、周囲に気を配りながらも聞き耳をたてる。
「こんなに沢山ですか」
「木の葉そんなに遠くないからいいデショ。面倒だからって殺す訳にもいかないしネ」
 人道上とか道義的とか、凡そやっている事とは似つかわしくない協定が忍五大国間には締結されている。今回もそれに則って捕虜の護送は行われる。
 この場合、捕虜を術で縛り上げて連れて行くのが妥当だが、最悪捕虜自身を無理矢理にでも運びやすい物に変化させる手がある。これが仲間ならば怪我を負った上に変化をさせるなど酷く身体に負担の掛かる事などさせはしないが、そこは所詮捕虜が相手なので人道上の事はかなり曲げてしまう。先刻まで自分達の命を狙っていた相手にかける情は持ち合わせていないし、捕虜の人権を守れと声高に叫ぶ程正義感が溢れている訳でも無い。
 護送班の班長も面倒なのが丸分りの顔で、縛り上げられたまま地面に転がされている敵国の忍を眺めている。
 カカシと護送班の班長が捕虜の護送計画を立てている間、自分も捕虜の護送に回りたい、早く里に帰りたいとイルカはウズウズしながら帰投命令を待った。だが、
「うみの中忍。アンタ一番元気そうだから俺と一緒に残って。後始末しないとネ」
「‥‥はい」
 捕虜の護送に自分も同行したいという願いも空しく、カカシと一緒に敵国の忍の処理の為に残留する羽目になった。他の二人の怪我の治療を優先する為、帰路を手助けする人員に割り振られたのだから致し方ない。同行の二人より軽傷なのは確かだし元より拒否権の無いイルカには、それに不服を唱える術はなかった。それ以上に後の処理にまで気が回らなかった自分が愚かしい。
 その二人にカカシは労いの言葉をかけ、彼等も神妙な顔付きでカカシの言葉にいちいち頷いている。
 彼等のカカシを見る目付きが、ただの憧れから尊敬のそれへと変わっているのにイルカは気が付いた。
 また胸がチリチリと焦がされ、知らず奥歯を噛み締める。
 だが同時に、そんな事にばかり目敏いた自分が嫌になった。
 後はうみの中忍と片付けてるからと告げる、カカシの声が嫌にはっきりと聞こえた。


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