43  デラシネ

 俺の戦歴? 華やか? それって諜報の頃の事?
 何故今そんな話題にと訝しくは思っても、おだてられると木に登ってしまうのがイルカの美点で甘いところ。
 直面する問題から眼を逸らしたいのが半分で、勝手に良いように解釈をしつつ、
「いやあ、カカシ先生に褒められるほどでは‥‥」
照れ隠しに鼻の傷を掻いていると、カカシの顔に青筋が立ったように見えた。
「アンタ。本当にお目出度いネ」
やはり間違っていたかと鼻の上で指の動きが止まる。
「紅やら、アンコやら」
「‥‥はい?」
「ちょっーと水向けたらもう色々教えてくれましたヨ、色々とネ。‥‥イルカ先生の好みのタイプとか、どのくらい続いたかとか。いやに協力してくれちゃって、くの一の情報網ってホント侮れませんネ」
カカシに捲し立てられた。
「‥‥アンコが」
 イルカの幼馴染みで姉貴分のアンコ。アンコのカラカラ笑いが幻聴となってイルカを襲った。
 どうやらカカシのいう戦歴とはイルカの今までの女性関係を指しているらしい。一体彼女達はカカシに何を吹き込んだのか。一回飲みに行った程度の相手までキッチリ網羅されているんじゃないかと嫌な予感すらする。実に恐ろしきはくの一の情報網と、とんでもない時の結束力。
「そんなこと知ってどうするんですか」
イルカは牽制のつもりでそう言ったが、
「好きな人のことなら知っときたいデショ。傾向と対策とか」
あまりに直球なカカシの言い種に、尻の辺りがぞわりとしたイルカは口を噤んだ。
「それにイルカ先生ったら、こーんな真面目な顔して女の人の出入りが結構派手だって」
「派手って‥‥」
言うに事欠いてとイルカは目眩がしてきた。
「なんか語弊がありませんか。俺はそんなふしだらな人間じゃありません」
いい歳をした男がふしだらも何もないが、カカシも負けてはいない。
「何言ってんだか‥‥結局アンタ来る者拒まずなんデショ」
「‥‥なっ!」
さすがに頭にきたイルカは、思い付くままに言い返した。
「アンタだって人のこと言えんのかよ。カカシじょーにーん、ってキャーキャー言われてるじゃないですか」
「上忍はホントなんだから仕方ないデショ」
「そーいうんじゃなくて! しょーもない依頼なのにカカシ先生御指名の有閑マダムとか」
「ハッ! アンタ任務内容に貴賎は無いって教えてんじゃないの? 教師がそれじゃ困るヨ。それにその有閑マダムってどうせマダムしじみとかデショ」
態と肩を竦め人を小馬鹿にしたカカシの言様に、イルカの闘争心に火が付いた。こんな情けない内容で火をつけられる闘争心も哀れだが。
「ふん! それだけじゃないですよカカシ先生。くの一や素人のお嬢さんだけじゃなくって、玄人のお姉さんにも人気だって話じゃないですか」
「え。何それ」
今度はカカシがたじろぐ。
「結構噂になってますけど。三浦屋で評判のお姉さんといい仲だって。通い詰めてるらしいじゃないですか。カカシ先生のファンの子達も可哀想に」
いかにも当て擦ってますといった顔をしてみせると、ぐっと詰まったカカシが「アスマめ‥‥」と低く唸った。
 辺りに遠慮し声を潜めながらとはいえ、罵り合う様はまるで子供の喧嘩。だが内容だけは健全さから外れた大人の会話だ。如何せん余り表に晒して欲しくない内容だけに始末が悪い。言い負かしてやると鼻息を荒くしたイルカだったが、突如悄然としたカカシに勢いを挫かれた。
「イルカ先生。アンタ、俺に通ってる女がいるって分っても何とも思わない?」
「へ?」
「別にーとか、そんなもん?」
その前にイルカには、カカシが何を言わんとしているのかが分からない。
「俺はアンタの彼女の話聞いて、いくら昔のことでもやっぱり何かさ」
「‥‥な、何ですか」
「うん。妬けるっていうかさ」
「ヤケル‥‥」
燃えたってことじゃないですヨ、とご丁寧に解説まで付いてきた。
「でもアンタはそうじゃないんだよネ。‥‥ま、分かってたんですケド」
肩を竦めるカカシ。
「そりゃあ、お互いイイ歳した男だし。本当はアンタにどうこう言う立場じゃないし」
まったくだと思っても、イルカは賢明にも声には出さなかった。
「アンタのこと気になってんだーって分かった途端に昔の彼女関係聞いたもんだから、なんかもーショックで」
「はあ」
「それに、相手に関しては随分間口が広いらしいじゃないですか」
「間口って‥‥」
「凄い話聞いたんですけど。ホントかなぁって」
「スゴイって‥‥」
「教えて欲しいなぁ、って」
お願い口調だが、高圧的。
「ネ。イルカ先生」
「‥‥‥‥。」

‥‥カカシ先生が驚く付き合いって、あの人ぐらししか思い付かない。

されるがままに尋問が始まった。
 カカシは尋問をさせても一級品だった。
 イルカは問いつめられるままに、「任務で世話になった先輩で」と答える謂れも無いのに白状させられていた。知らない間に噂の瞳術にかかったのかと心配する程おとなしく白状する自分が恨めしい。カカシに尋問部に出向しろと嫌味の一つも言いたくなってきた。
「で、今も付き合いあるんですか?」と尋問官カカシ。
「そんな‥‥会ってませんよ!」
イルカは勢い込んで否定する。
「任務でもかち合わないし、その時だけって割り切ってたし。それに今は結婚して奥さんとお子さんがいる人ですから」
ははは、と力無く苦い笑いをこぼすイルカに、フーンとカカシの生返事。
 うっかり喋らなくてもいい事まで吐いてしまう蛇に睨まれた蛙のようなイルカも、これでやっと尋問もお終いかと息をついていると、胡乱な目付だったカカシがイルカをはたと睨んできた。膝を抱えたままというのが滑稽だが、それを笑う余裕はもはやイルカにはない。それ程膝を抱えた男の眼光は鬼気迫るものがあった。
「イルカ先生‥‥アンタ‥‥」
「へ?」
ゆらり、と何か良くないものがカカシから立ち昇ったようにイルカには見えた。
「今、アンタが昔付き合ってた人の話してるんですよネ」
「はあ」
妙な念押しをするカカシの語尾が震えていたように感じたのは気のせいか。
「奥さんがいるってことはさ‥‥その先輩って男、だよネ」
カカシが先程よりも三倍増し不穏な空気を発している。
「そうですけど。‥‥いやホント何も無いスッゴイ僻地でってさっきも言いましたっけ。えっと、だからって訳じゃないんですけど。いや、親切でカッコイイ人でね、その」
まるで浮気を咎められた夫のように、おろおろしながら説明ともつかぬ弁解を始めると、
「‥‥アンタ何ヨ、男でもいいの? ‥‥俺が、俺がどれだけそれで悩んだか。それをアンタ」
「え? って知ってるんでしょ。アンコ達に聞いて」
何を今更とイルカは続けようとしたが、
「俺、何悩んで、遠慮して‥‥ハハ、なんか勝手に夢見てたのかな」
莫迦か俺は‥‥と、カカシは己の膝の間に顔を埋めた。
「アンタが一回り以上年上の女と余裕で付き合ってて、しかもヒモ紛いだったって‥‥。そんなのに驚いてる場合じゃなかったのか、俺」
「‥‥‥え、そっち!?」
思わずイルカは立ち上がってしまった。が、勢いがよかったのはそこまで。
 自分が墓穴を掘ったどころか、更に深く掘り進めたらしいことにイルカは気づいた。カカシの仄めかした、「相手に関して間口が広く」て「凄い話」から、これだろうと踏んだのだが、まさか肝心の部分で話しが噛み合っていなかったとは。アンコ達はイルカの女性関係には詳しくても、それ以外の関係については知らなかったらしい。
「な、‥‥‥悩んでたんですか‥‥」
「‥‥‥ええ、お陰様で」
 後悔先に立たず。
 昔の人は上手い事言う、と再び現実逃避を始めたイルカの横で、カカシの掠れた声がイルカを呼んだ。

‥‥‥誰か助けてくれ。

 任務続きで疲れた身体に、新たに精神的苦痛が加わった午後の一時だった。


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