41 デラシネ
|
絶えまなく訪れる依頼者と忍とでごった返す任務受付所。
人手不足からその処理も押せ押せとなり、それが慌ただしさに拍車をかける。 ほんの少し前までは、自分が三代目と並んで任務案件の処理を受ける側だったから、処理が後手後手に回っている受付係にも文句など出ようはずがない。誰もが過剰な仕事に根を上げている。 イルカは目の下に濃いクマを張り付けている受付係に少々同情しながら案件を受け取った。息をつく間もなく次の任務で組む事になった女性と懸案事項について詰める。 彼女とは何度か組んだ事がある。そこそこ気安い仕事のやり易い相手だ。 暫く打ち合わせをし、受付所のむっとするような人いきれを抜け出した途端、別の意味で息の詰まるような人物と鉢合わせた。 「あっ‥‥」 「‥‥イルカ先生」 カカシと果たしてどんな顔で会えばいいのやら? そんなイルカの心配を余所に、顔を会わせる事も無く日は過ぎた。忙しい毎日に流されるように、カカシに対する気不味さも徐々に薄れていった矢先の遭遇。 「ここじゃなんだから」 イルカは、カカシに強引に休憩所へと連れて行かれた。 一般の依頼者も訪れる里の表看板である任務受付所と異なり、言わば舞台裏にあたる休憩所は、余り手が入っておらず老朽化の感が免れない。この棟は先の大戦以前から使われている年季の入った建物で、安全面への考慮もあって化粧直しが検討されていた。だがそれも木の葉崩しにより被害を受けた建物の再建に予算が奪われ、そんな余裕のある話はあっという間にお流れになったのだが。 薄暗い雰囲気に似合いの、耐久年数を越えて尚現役を続行させられている擦り切れた長椅子。申し訳程度に置かれた観葉植物も干涸びて、葉の先が茶に変色している。煤けた空間に様々な種類の自動販売機の放つ人工の白い灯りだけが、目に痛いほど眩しかった。 イルカはコーヒーと緑茶飲料とで暫し迷った挙げ句、『健康』と大書されたカテキン増量の緑茶飲料を選んだ。こんなところに最近の食生活が窺えてしまう。カカシは「これ」と言いながらブリックパックの牛乳のボタンを押していた。 三時に近い時間の為か、備え付けの長椅子はそこそこ埋まっている。 二人は貼り紙を剥がした後がまばらに残る壁に寄り掛かり、銘々の飲み物に手をつけた。カカシは此処までイルカを引っ張ってきた割には何を言うでもなく、 「ブリックパックって飲みづらくて苦手なんですヨ」 とぼやきながらストローを啜っている。イルカは横に佇むカカシをチラリと盗み見た。だが何の素振りも見せないカカシに、仕方なく緑茶飲料に口をつけた。 「牛乳飲むと強くなる気がしません?」 「へ?」 唐突にカカシが口を開いた。 「やっぱりカルシウムのせいですかネ〜」 こんな話をするために此処まで連れて来た訳でもなかろうにと少々訝しんだが、おとなしく話をあわせた。 「ナルトは早く背が伸びるようにって牛乳派です。炭酸飲料とかよりはよっぽどいいですけど」 「あ〜、あいつ一番小さいから。でもそこで野菜ジュースって発想はないんですかネ〜」 「賞味期限切れおこすし」 「俺も見ましたヨ。腹壊したら育つどころかダイエットにしかならないのに」 気がつけばカカシのペースに乗せられ、世間話が始っていた。 下忍七班についてや人使いの荒い上層部への愚痴。次期火影は自来也かとの噂話まで、それなりに話題は尽きない。 「相談役でも誰でもいいから火影になればいいのに。不在よりカッコつきません?」 「じゃ、ナルトとかどうですかね。意気込みだけは火影レベルだし」 カカシのくだらない冗談に、イルカは最後まで残っていたカカシへの警戒が解け、軽口を叩く余裕が生まれた。 「だったらカカシ先生がやればいいじゃないですか。木の葉一の業師が」 「俺にはそんなの回ってきませんよ」 「またまたそんな」何を謙遜とイルカが言えば、 「いーえホントに。大体出自のはっきりしない奴なんて、この里のトップにはなれませんヨ」 「‥‥‥そうですか」 「それに四代目も面倒臭そうにしてましたヨ。火影になったらのんびり昼寝もしてられないって」 四代目火影の治世にイルカはまだ幼く、だから何の感慨も無い。四代目火影の顔岩には馴染み深いが本人は遠い存在の雲上人だ。だから四代目火影の部下だったと聞き及ぶカカシから、僅かなりともその人と成りを伺う事が出来ると少し親しみが湧いてくる。 面倒臭いだなんてカカシ先生みたいな人ですね、と言ったら「そうかな」とカカシはどことなく嬉しそうに笑った。 ‥‥‥別に気にすること無いみたいだ。 穏やかに続く会話にイルカはほっと胸を撫で下ろした。現金なもので少々気も緩む。 飄々としたカカシはイルカがよく知るもの。この前のようなイルカを挑発するような冷ややかさも無いし、そしてあの不埒な行為を仄めかす事も無い。 あの時はどうかしていたのだと、考えづらいが、あれは多分に冗談の意味合いが強かったのだとイルカは己を納得させた。きっとカカシも己の行為を後悔しているに違い。だからきっとこんな形で時間を持ったのだ。後は、これから先もカカシと付き合っていく為にもう一度線を引き直し、甘えた自分を戒めてさえいればいいのだ。 二人の間の緊迫したやり取りを忘れようと努力していたイルカだったが、その頑張りはカカシの漏らした一言によって遮られた。 「さっきの人、可愛いらしい人ですネ」 牛乳を飲み切ったらしくカカシが手にしたブリックパックがベコッとへこんだ。そこに描かれた愛らしい牛の絵柄が突如歪な顔になる。 カカシの唐突な話題転換に少し戸惑ったイルカだったが、「さっきの人」がイルカと任務に同行する女性を指すのだと思い当たった。 「さっきって‥‥見てたんですか?」 「うん、まあ」 果してどこから見られていたのやら。茫洋とした返事がカカシから返ってきた。 「へえ。カカシ先生ああいう感じ好みなんですか?」 「うん?」 「可愛いらしいなんて言うの珍しいから‥‥なんなら繋ぎますけど」 ‥‥‥そうだ。カカシ先生の和解の申し込みに応えて彼女を紹介するのもいいな。カカシ先生が相手なら彼女も悪い気はしないだろうし。 彼女に恋人が居たらマズイなとイルカは思いつつ、自分の思いつきに気を良くした。 すると。 グシャリ。 突然カカシがブリックパックを強く握り潰し、その予想外な行動にイルカは何事かと眼を丸くした。見ればカカシの眉間にくっきりと縦皺が刻みつけられている。 カカシは自分が潰したブリックパックを広げた手の平に乗せ何か思案するようだったが、やがてゆっくりと彼方に見えるゴミ箱に投げた。それはキレイな放物線を描いて目的地に辿り着き、カサと軽い音を立ててゴミ箱に吸い込まれていった。 「イルカ先生‥‥アンタ、俺の言ったこと忘れたんだ」 ブリックパックの軌跡を追っていたイルカに、カカシは視線を寄越さずに言った。 「‥‥はい?」 その地を這うような声に気押され、イルカはカカシに向き直った。 「俺の言ったこと忘れたんデショ」 「あ、えっと‥‥」 「それとも、無かったことにしてしまえ、ですか?」 ‥‥‥まさか。 本当にあれは冗談でも何でもなかったのかとイルカは思った。 「そう言う訳じゃ‥‥。あのてっきり」 「てっきり冗談かと思った、ですか?」 二人の為にあの過去を抹消しようと決めた矢先のイルカは狼狽えた。 「その‥‥ちょっと待って下さい。カカシ先生」 「何?」 「あっ、その、そのですね。いやだから‥‥」 「うん?」 「‥‥あの時のあれ‥‥本気だったんですか?」 「何?」 口をモゴモゴさせるイルカに、ハッキリ言って下さいヨ〜とカカシが口を尖らせて促す。 「そのですね。カカシ先生。だから、俺を‥‥」 「好きかって、聞きたいんですか」 さらりと繰り出された言葉はイルカにとって中々の破壊力を秘めていた。誰も二人の話をなど聞いていないと分かっていても、あたふたと辺りを見回してしまう。 「いやっ、その、そうですけど。カカシ先生‥‥冗談とか‥‥じゃなくて?」 「冗談‥‥」 「その、甘えた事言った俺を、叱咤激励とか‥‥」 言った途端にくわっとカカシの凶相が迫ってきた。 「何ですかそれ。いつアンタが甘えてきたって言うの」 その凄まじさに、イルカは思わずカカシと対峙する敵の苦労を慮った。緊張の余り意味も無く唇の端がヒクついたイルカに、カカシはプイと明後日の方を向いた。 「ま。そうですネ」 そう言ってガシガシと後頭部を掻き出す。 「そうですねーって、やっぱり‥‥」 冗談ですかと希望的観測を続けようとしたイルカを、カカシはひと睨みで黙らせた。心臓の悪い年寄りなら簡単にあの世に逝ってしまいそうだ。 「‥‥スイマセン」 勢いに押されたイルカは、何で自分が怒られるのか頭の片隅で訝しがりながらも、すぐさまカカシに謝罪の言葉を繰り出した。そんな蛇に睨まれた蛙のようなイルカに、カカシは厳かに言い渡した。 「俺ネ、アンタのこと気になってる」 |