39  デラシネ

「これ貰っとくネ。俺、貰い煙草専門だから」
目を眇めたカカシは鮮やかに姿を消した。
それをイルカは呆然といった態で見送った。



 カカシが姿を消してから暫し後。
 俄に現実に引き戻されたイルカは慌て立ち上がろうとしたが、妙な体勢のまま上半身を支えていた為に手に痺れが走った。今度は身体を動かしたくても動かせない。
 まったくもって不覚としか言い様の無い状態に、獣のように唸りながら耐えていると、自分が握りつぶした煙草のパッケージが目に入った。ぐしゃりと歪められたそれはもう空だ。
「‥‥最後だったのに」
 最後の一本を持ち逃げしたカカシに、腹の底から言い様の無いむしゃくしゃした気持ちが込み上げてきた。そして為す術も無くカカシに翻弄された自分にも腹が立つ。
 さっきのあれは一体何だ? 好きになれとか、なんとか‥‥。
「くそっ、訳分んねー!」
口汚く罵るも、今イルカに出来るのは悪態をつく事くらい。
「返せドロボー!!」
 イルカの負け惜しみを聞いていたのは、相変わらず暢気に頭上を舞う鳶と歴代火影の顔岩だけ。勿論彼等から返事があるはずもなく、イルカの叫びは空しく青空に吸い込まれていった。
 そんなイルカを慰めるように、また風が吹いた。



 ほんの数刻前。
 感傷的な気分に浸るのを自分に許すつもりで、イルカはアカデミーの屋上に登った。
 屋上へのお供は先程買ったばかりの煙草。夜だったら迷わず酒といきたいが、まだ陽も高いのでお手軽に煙草で我慢した。これを一箱空ける程度は時間が運良く空いていたので、その間はおおっぴらに落ち込む事を自分に許した。
 今さら彼女との過去を悔やんでも仕方が無い。ただ気持ちの整理に少しだけ時間が欲しかった。今更ながらに動揺する己を落ち着かせたかったのだ。
 一緒に買った、安物のオレンジ色の簡易ライターを取り出す。

‥‥火遁でもよかったんだ。勿体無い。

貧乏臭い後悔をしながらイルカは煙草を銜えた。
 久しぶりに吸う煙草はきつく、それでも肺一杯に煙を吸い込んだ。すると格好悪い事に涙が滲んできた。
 選んだ銘柄は以前自分が吸っていた物で、昨今の風潮によりニコチンが軽くなりはしても重くなりはしない。だがそれは肺にも気持ちにも随分重かった。既に持て余しぎみな煙草を半ば意地で、此処で全部吸い尽そうと決めた。そうすればじわりと浮かぶ涙を煙草の所為だと思える。
 いたく感傷的な自分が恥ずかしく、煙を肺へ送り込む単純作業にイルカは没頭した。
 そんなイルカを歴代火影の顔岩が本日も険しい顔で見下ろしている。
 今日は特別顰面をしている三代目の顔岩に「三代目ぇ〜」と嘆いてみたが、幽霊になってまでイルカの元を訪れるほど、三代目は親切ではなかったようだ。
 三代目のケチと悪態をつきながら、

‥‥三代目は出てこないけど、落ち込んでる時ってカカシ先生によく会うんだよな。

煙草を燻らせながらイルカはぼんやりと、そう思った。
すると。
「煙草、吸うんですか」
今では聞き慣れた、あの少し低い独特な調子の声が聞こえた。まさかとも、やっぱりとも思いながら顔を上げると、そこにはお約束のようにカカシがいた。
 ホントにいるよ‥‥、カカシの姿を見つけたイルカは、やっぱり三代目は薄情だと思いながらも、何故か可笑しく堪らなくなった。
 だが、どうして自分がここにいるのが分かったのやら。不思議な人、というかどこか怪しいとは思っていたが、ここまでやられるともう完敗だった。
 屋上に誰も居合わせない事に感謝していたのに、煙草を勧め留まるのを促したのは、予定調和のようなこの人の登場が可笑しかったから。
 否、本当は嬉しかったのかもしれない。

‥‥カカシ先生って、そう見えないけどお節介なのかな。それとも「可哀想な人探知機」とか変な物付いてたりして。

 ポケットに手を突っ込んだ普段と変り無いカカシの姿が、イルカの気持ちを落ち着かせた。
 派手に慰められたり元気づけられた訳でもないが、ナルトの時も三代目の時も、例え偶然に過ぎずとも、イルカの気持ちが疲弊していると何故か側にカカシがいてくれた。
 落ち込んだ気持ちがカカシへの甘えに微妙にスライドしていく。

‥‥だから無意識に甘えていたのか。

 思いがけない保護者の出現にイルカは気を良くし、昔付き合っていた女性に再度振られ直した事まで喋ってしまった。「皆離れていく」と甘えを本音に混ぜ込んで。
 その少し後だ。カカシの態度が変化したのは。
 まるで初めて会った時のように挑発的な物言い。
 普段の飄々とした軽やかさの無い、どこかイルカを押さえ付ける態度。
 更にあの口吻け。否、噛み付かれたのか。
「甘えるな」
カカシにそう撥ね付けられたと思った。
「‥‥‥。」
 出会い方が悪かった所為か、初めは妙な緊張と反発をカカシに感じていた。
 相容れない考え方をする人間だと思っていたが、反りが合わないどころか寧ろ気安く、短期間で急速に距離が縮まった。
 それでも無意識にどこかで一線を引いていたと思う。
 階級に縛られはしないが、それでも彼はあの「写輪眼のカカシ」だとの認識は変らない。お互いの立ち位置と均衡を見極めた上での良好な関係だったはずなのに。果たして、どこでそれが崩れたのだろうか。
「そう言えば、好きになれとか、なんとか‥‥」
 あれは質の悪い冗談か?
 それともイルカを突き放す為の言葉だったのか‥‥。
 そう思った途端、どうした訳か目の前が暗くなった気がした。
 いつの間にこんなにカカシが自分の身近な存在になっていたのだろうか。
「何考えてんだ、あの人」
 やっと痺れが治ったイルカは、腹立ち紛れにカカシに悪態をついた。だが起き上がる気にもなれず、しゃがみこんだまま頭を抱えた。
 二度自分を振った女性のことは既に頭に無く、カカシばかりがイルカの頭を占めていた。
 だがそんな事にすらイルカは気付かなかった。


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