38  デラシネ

「俺ならアンタの側にいるヨ」



 カカシの言葉を風が散らした。
 「なんか言いました?」
 イルカがカカシに顔を向ける。動いた拍子にイルカが銜えた煙草から、ポロと燃え尽きた灰が落ちた。その火種はしばらくコンクリートの上で燻っていたが、やがて風に浚われて消えた。だがカカシの中に燻っていた火種は、息を吹き始めた。
 自嘲気味の笑みを口元に残したまま、カカシはイルカに宣戦布告の言葉を投げ付けた。
「俺ならアンタを振った女と違って、優しくしてあげますヨって言ったの」
ゆっくり告げると、それをからかいと受け取ったイルカが険しい顔で睨んできた。
悄然としたイルカより怒っている方がいい。たちまち見慣れたイルカに戻ったようで嬉しくなる。
「は? 何ですかそれ!?」
荒い声を出すイルカに、その調子と頷く。
「優しくするって言ったのに〜」
「カカシ先生」
カカシの言葉をイルカが低く遮った。
普段より沸点の低いイルカに言い過ぎたかと思うが、ここで引き下がる訳にもいかない。
「俺、優しくするの上手いヨ」
カカシがそう言うと、何をだか、とイルカは唇の端を吊り上げた。
「ほら、今だって笑わせてあげたじゃない」
「これが?」
それにイルカは憮然とし唇を曲げた。
「残念、気に入りませんでした?」
カカシの安い挑発に、簡単にイルカは乗ってきた。
 最後の一本を銜えたイルカは、空になった煙草のパッケージをぐしゃりと握り潰してコンクリートに転がした。必要以上に強く握られたそれは無惨に捻れた形を晒している。その常に無い乱雑な態度が、彼の押さえられぬいら立ちを代弁していた。
「じゃ、さっきの無しでお願いしますよ。で、手始めに何してくれるんですか?」
イルカは皮肉気にきれいに眉を持ち上げた。
こんな時にだが、改めて確かさのある整った眉だとカカシは思う。
「可愛く無いコト言いますネ。イルカ先生」

‥‥弱味に付け込んで懐柔しようなんて、アンタには通用しないよネ。余計意地を張りそうだ。

「じゃあ、お望み通り」
 何を始めるのかとこちらを睨み付けてくるイルカの前に回り、二人の間の空間を瞬時に詰めた。イルカの投げ出されていた手足を押さえ込んで、身体の上に覆い被さる。
 驚いたイルカは身体を後ろに仰け反らせ、その反動で寄り掛かっていた給水塔に後頭部をぶつけた。痛みに顰た顔が可笑しくて、カカシは薄く笑った。

‥‥バカみたい。‥‥でも、逃がさないヨ。

「こうしてあげますよ」
カカシは覆い被さった体勢のまま、イルカの唇の端に引っかかっていた煙草を抜き取った。
「カ‥‥」
カカシ先生何を、と続くであろう言葉をカカシは自分の口中に納めた。驚きに逃げようとするイルカの唇を追いかけ回し、噛み付くように何度も唇を重ねる。
 始めに感じた煙草の苦味が、お互いの唾液にまぎれ薄まっていく。
 恥ずかしい程勤勉にイルカの口中を探る己の舌に、カカシは自分がどれ程イルカを望んでいたのかを思い知らされた。
 苦しそうに新しい空気を欲っしたイルカの唇を最後にそろりと舐め上げてから、カカシは身体を起こした。小さく呻いたイルカの、その唇が濡れていて、それが自分の所為だと思うと、愉悦がカカシを襲った。

‥‥何されたか分りませんって顔。いい歳して。

呆然とこちらを見るイルカの紅く染まった頬がよく見える。
カカシは鼻先がぶつかりそうな程身を寄せて言い放った。
「俺にしときなヨ」
「‥‥‥‥」
 イルカは意味を掴みかねるとばかりにカカシの顔を見返した。否、聞こうとしているのかも怪しい。だからカカシは念を押すように言った。
「俺にしておけばいい。‥‥‥俺を好きになりなヨ。イルカ先生」
イルカが目を瞠った。
 カカシは驚きに固まったイルカの身体の上から、ゆっくりと身を起こした。
イルカはこちらをぼんやりと見上げるだけ。
「そろそろ退散しますヨ」
それからカカシは、イルカから取り上げた煙草を銜えた。
「これ貰っとくネ。俺、貰い煙草専門だから」


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