37  デラシネ

「あと一本か」
 イルカが吸い殻を携帯灰皿に捨てた。既に許容範囲を越したのか吸い殻がはみ出している。携帯灰皿とは律儀なものだとカカシは関係の無いところで感心した。
「へこんでたんですか?」
「そう」
「理由聞いてあげたほうが親切?」
妙な言い回しにイルカは少し笑ってから「聞いてもらおうかな」と呟き、投げ遺りな様子というよりも、寧ろ淡々といった風情で続けた。
「同じ人に、二回も振られたんです」
「は? ‥‥イルカ先生が振られたんですか?」
「ご丁寧に確認しないで下さい。‥‥でも今度のはトドメ刺されたなぁ」
「アンタ、いつの間にそんな‥‥」
「へ? ああ。昔付き合ってた人にまた振られて。しかも振られたて」
「ん?」
「結婚、するんだって」
イルカは天を仰ぎ、大仰に溜め息をついた。
「別にもう別れた人だから、俺がこんなこと言えた立場じゃないのは重々承知ですけど」
イルカは唸った。
「初めて俺から好きになった人だったから、ショックっていうか」
イルカの言葉に、カカシの煙草を挟んだ指が、どうした訳かビクリと震えた。驚いてイルカに視線を走らせたカカシは、頼り無い風情のイルカに目を奪われる。
「だから風に吹かれて悲しい気分満喫中なんです」
皮肉気にイルカは続け、告白終わりと乾いた声で会話を打ち切った。
そんなイルカを見るのが忍びなくて、彼を盗み見るのをカカシは止めた。
イルカを慰めてやりたいと思うが、カカシには何ら手立ては無い。
これが少しでも気のある女性ならば、優しい言葉をかけて、肩を抱き寄せてやればいいのだが。困った挙げ句、出来た事といえば己の後頭部を掻く事ぐらい。

‥‥辛そうな顔しちゃって。俺だったらアンタにそんな顔させないのに。

可哀想に、そう思ってからハタと気付いた。

‥‥どうしてイルカ先生相手に、いや、男相手にこんなこと思うんだ?

 カカシの気持ちの隅に転がっていた不可解な感情が燻り出した。一時の気の迷いと一旦は冷めたはずのそれは、また熱を持ち始めた。消えるどころか置火のように保存されていたそれに、カカシは狼狽える。落ち着こうと肺に煙を送り込んだが、深く吸い込みすぎて咽せそうになった。
「やっぱり‥‥」
ぼんやりとイルカが口を開いた。
「やっぱり皆して、俺のこと置いてく」
ポツリとイルカからこぼれた言葉。
それまで暢気に構えていたカカシだったが、イルカのたった一言に横面を張られたような気がした。

‥‥俺はアンタにとって「皆」の内に入らない程度なんだ。

そう思った途端、身内を何かが焦がした。

‥‥皆か。だったら俺はアンタの中でどの程度の存在なんだ。

 勿論イルカに何の他意も悪意も働いてはいないだろう。カカシを軽んじての発言では決してない。人間同士の付き合いをどの程度と測る事など本来おこがましいし、況してやそれは互の暗黙の了解だけで十分だろう。しかも友人の括りで満足出来るなら、どの程度だなんて考えもしないはずだ。関係の深さを測りそれを拠り所とするのは、寧ろ色恋沙汰において。‥‥ならばこの憤りは?

‥‥だったら俺が望むのは。

その括りを越えた所にあるのではないかとカカシは思った。
イルカに劣情を覚えた記憶が、嫌が応にも甦る。
イルカの一言は、カカシの気持ちの鉾先を一挙に方向づけてしまった。

‥‥全部アンタの所為だ。イルカ先生。

燻っていた小さな火種に風を起こし、煽って大きくしたのはイルカ本人だと、カカシは責任転嫁をした。その火種を秘かに温めていた自分にはこの際目を瞑り、全てイルカの所為だと決めてしまえば、この衝動も正当化出来る気がした。

‥‥ホント。俺も勝手だネ。

果たしてこれを、人は恋愛感情と呼ぶのか。カカシには分からない。
それでも、イルカを振り向かせたい。
身勝手な論理を基に構築された情動。それに従おうとする自分に自嘲の笑みがこぼれた。
「イルカ先生」
だからカカシはイルカを呼んだ。
「俺ならアンタの側にいるヨ」


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