36  デラシネ


「煙草、吸うんですか」
 給水塔に背を預け、だらしなく手足を投げ出して座っているイルカに、カカシは声をかけた。
 こちらに顔を向けたイルカの瞳が、濡れているように見えた。



 給水塔が幾つも並び建つアカデミーの屋上は格好の喫煙場所だ。
 昨今叫ばれる禁煙運動の煽りを受け、喫煙者の肩身が狭い今日この頃。此処では清清しい気分で、心をおきなく煙を撒き散らせる。
 火影岩を正面に見据えられる場所が一番人気。遮る物が無い為に風が直接吹き付けるのが玉に傷だが、暑い季節にはそれも丁度良い。
 今も微かな風が吹いて二人の髪をさわりと揺らし、イルカの吐き出した煙を運んでいった。
 空は蒼く、のんきな鳶の声が響き渡っている。
「吸うなんて知りませんでした」
カカシはもう一度言った。
「そうでしたっけ」
だるそうにイルカが答えた。
「‥‥ここんとこ吸ってなかったから。飲んでる時でも欲しく無かったんですけど」
イルカは吸い終わった煙草をぞんざいな様子で揉み消した。
 普段はきちんと定位置に巻かれている額宛も、今は結び目もそのままにダラリと首からぶら下がっている。
 ピシリ。
 イルカが煙草のボックスの尻を弾いて新しい煙草を取り出し、まだオイルのたっぷりと入った安っぽいオレンジ色のライターで火をつけた。
 前の煙草を揉み消した途端間髪入れずに新しい物を吸い始めたイルカに、どうしたものか、かける言葉は見つからなかった。慣れた仕種で吸い続けるイルカが、慣れない煙草で腹立ちを紛らわそうとしする子供のようで、知らずカカシの眉根が寄った。
「吸います?」
 イルカよりも渋い表情になったカカシにイルカがボックスを差し出してきた。断わる理由も特に無いので遠慮無く手を伸ばし、カカシはそのままイルカの左側に腰を下ろした。
「あれ、カカシ先生こそ吸いました?」
カカシに煙草を勧めておいて、今更ながらイルカが訊ねる。
「貰い煙草専門なんです俺。止めてたんですけどネ〜。アスマがあんまり横で吸うもんで」
そう答えるとイルカが納得したように頷いた。
「あそこまで旨そうに吸われると、止めてくれとは言えませんね」
「アイツきっと死因は肺癌ですヨ。任務とかじゃなくて」
「不謹慎な。でも猿飛の家系は長生きらしいですから」
そう言ってちろりと笑ったイルカに、カカシはさり気なさを装いながらも気になった事を切り出した。
「で。イルカ先生はこんな所でどうしたんですか」
「見ての通りですけど」
イルカは相変わらず浮かない顔でで空を見上げている。
「ちょっと時間が空いたんで休憩です」
「休憩」
「吸いたくなったんで」
「にしては、あまり旨そうに吸ってるように見えませんけどネェ」
そう言われたイルカは、横目で不機嫌な視線をカカシにくれた。その瞳にいつもの明るさは無い。
 イルカの唇の端にかろうじてぶら下がっている煙草が、ジリジリと吸い上げられ短くなっていく様をカカシは見つめた。
 歓迎されない処に無理矢理割り込んだのかと些か後悔したが、取り敢えず煙草一本を吸い終えるまでは此処に留まろうと思い、カカシは肺に煙を送り込んだ。
すると何の脈絡も無くイルカが呟いた。
「カカシ先生には探知器でも付いてんですか?」
「探知器?」
「そ」
「俺に?」
「うん」
イルカは瞳を伏せた。
「俺がへこんでる時、近くにいるから」
「‥‥‥」
 短くなり過ぎた煙草から、イルカがやっと唇から離した。


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