35  デラシネ

 やっとの思いで中忍になった。
 早く一人前になりたかった、あの頃を思い出す。



 九尾の災厄から数年。
 下忍として与えられる任務を恙無くこなす事が出来るようになれば、おのずと次の目標が定められる。
 下忍のままでも自分一人程度なら食べてはいける。現に生涯下忍として任務を拝命し続ける者もおり、それぞれの特性を鑑みれば中忍に昇格するだけが最善ではないと承知している。組織は将だけでは成り立たない。
 一桁の年齢で昇格する程の傑出した才能には、己との格段の差を妬む事すら莫迦らしい。だが周囲には早々に中忍にそして上忍に昇格する例は珍しくなく、それはイルカに得も言われぬ焦りを与え続けた。イルカは早く中忍に昇格したかった。九尾の惨劇の時のように独り立ち出来ず無力なまま取り残されるのはもう御免だった。
 可も無く不可も無くと平均の線を辿るイルカにとって、中忍試験は突破出来そうで出来無い壁。
 焦るイルカを支えてくれたのはスリーマンセルの仲間達だった。
 お互いの長所も短所も癖も弱点も、全てを知り尽した感のあるスリーマンセルの仲間は何者にも変え難く、木の葉の仲間への信頼の根底はスリーマンセルで培ったといっても過言ではない。何度も挑む試験で、そして日々の任務で仲間が欠けてしまうのは珍しくない。だが当初からの変らぬ班編成のまま中忍選抜試験に挑めたのは真実幸運だった。
 だからこそ無事三人揃って中忍に昇格する僥倖を勝ち得た後、家族もかくやという程一緒に過ごした仲間と、配属先と進路の違いから離れ離れになったイルカは実感した。
 独りだと。
 慣れぬ環境、重くなる任務と責任。気負いばかりが大きくなる日々に、イルカは知らず疲弊していった。
 そんなイルカの欠損を埋めてくれたのは他人の体温。
 初めて自分を特別な存在と言ってくれたのは、少しだけ先輩格の同じ仕事仲間。
 甘い声で自分を呼び、優しい時間を共有する。自分を特別だと思わせてくれる恋人と称される存在に、イルカがのめり込むのに時間はかからなかった。
 イルカを独りにしない。その存在に甘え溺れた。
 だが、その人との蜜月の時間はあっけなく終わりを迎える。
 初めての恋人の新しい任務は、遠隔地に数カ月間定住するのを余儀無くされるものだった。
「何年も離れるわけじゃないんだから」
そう笑って任務に発った彼女。だがイルカは傍らに温もりのの無い日々に呆気無く負けた。気が付けば、天真爛漫に笑う別の女性がイルカに寄り添っていた。
 任地に送り出した彼女を嫌いになった訳でも、忘れた訳でもない。ただ傍らの寒さを埋めたかった。だから体温の不在を別の体温で埋めた。
 俗に言う二股の状態と分かっていてもズルズルとどちらの関係も維持し、それが些細な事から露見した。立ち往生するばかりのイルカに
「離れたのが悪かったのかしら」
初めてイルカの特別な存在になった彼女は分別のついた、でも少し歪んだ表情で言った。責められるべきはイルカなのに大して責めもせず、だが弁解のひとつも許さず彼女はイルカから去った。
 その後、眩しい笑顔でイルカを暖めてくれた女性も、いつしかイルカの前で笑わなくなった。二股状態を維持したイルカを「心底信用出来ない」と撥ね付けるようになった。酷い言葉を投げ付けられてもイルカは抗弁も出来ず、そしてそれすらしない事に失望したのか、その人もイルカの側を去った。

‥‥隣にいて欲しいんだよ。

 仕事柄、数カ月単位で任務地が変わる場合も多く、常に里を足場に活動出来る訳ではない。そんな状況で物理的な距離が生じる事態に陥ると、イルカの側で温度を与えてくれる人が変わった。
 あっさりとした別れあり。イルカの不実を罵り修羅場と化し、イルカそっちのけで女性二人が睨み合う時もあった。
 彼女達に対してイルカなりに誠実だったと思う。傍らにいて直に体温を与えてくれる限りは。
 そんなイルカの身勝手さに耐え切れず、結果イルカを切り捨てるように彼女達はイルカの傍らから去った。引き止める言葉ひとつ満足に持たないイルカは、ただの不誠実な男だった。そんな自分の都合の良さを重々承知していても、自分を変えられはしなかった。
 諜報部で任務を遂行するようになったイルカは、下忍時代の伸び悩みが嘘のように頭角を現した。
 三代目をはじめとする上層部の信頼も厚く、上司や同僚の受けもいい。適度に優しく適度に辛辣で冗談も通じる。特別整っている訳ではないが嫌味のない人好きのする顔。華やかさはないが穏やかで清しい雰囲気。
 突出はしないが、至極バランスのとれた存在がイルカだった。
 そんなイルカを周囲が放っておかなかった。
 派手派手しい女性関係はないが、イルカの側には常に誰かしら寄り添う人影があった。それが上手く続いているように見えながら、するりと相手が変わっている。傍から見れば多情な男に映っただろう。
 そんなイルカを「遠距離ダメなヤツだな」と友人は笑ったが、イルカも莫迦な自分を笑うしかなかった。
 あの人に会ったのは、そんな事を繰り返している最中。
 唇の下にある黒子の印象的な、美しい年上の人。長い黒髪は昔からだった。
 何度目ともしれないイルカの女性絡みの面倒事に成り行きで関わったその人は、「自分できちんと始末をつけなさい」とイルカを一蹴した。
 叱られたのが嬉しかったとでも言おうか。
 別れるも関係を続行するも、全て相手任せだったイルカが、初めて双方に対して行動を起こした。結局双方から捨てられる形に落ち着いたイルカだったが、ケリがついた後、その年上の人に初めて自分から付き合いを申し出た。
「子供の相手は苦手なんだけど」
困った顔をした彼女を、それでも恋人と呼ぶのを許されてやっと、自分は与えられる体温を欲しがるだけの子供だったと己の非を素直に認められた。初めて自分が温もりを与える側になれる事も、その人に教えて貰った。
 いつしか二人で時間を重ねていくのが普通に思えるようになった。「結婚してよ」それが口癖になったイルカに決まってその人は、「イルカがもう少し大人になったら」とあやすように笑った。幸せだと思った。
 凪いだ二人の海に風が吹き込むまでは。
 イルカのアカデミーへの起用と、恋人と呼んでいる人の長期の里外任務。否は無かった。
「別れた方がいいのかしら」
そう切り出したのは彼女の方。突っぱねるイルカに「無理よ」と微笑んだのも。
「誰か側にいないと、イルカ、寂しがるでしょ」と。
イルカは言葉に詰まった。
「イルカが寂しいのは嫌なの。でもイルカを信じられない、そんな自分も嫌。ううん本当はイルカにいつ裏切られるかって疑い続けるのが辛いの」
彼女の言動の原因は過去の自分だと、嫌でも思い知らされた。
切り捨てるのかと喚く事すら、過去に怯えるその人には出来なかった。この選択をさせたのは誰でもない、自分だ。彼女の信頼を完全に勝ち得られなかった時点でイルカの負けだった。

‥‥あの時どうして自分を信じてくれと、言えなかったのか。

今までのツケが回ってきたのだと、イルカは何度も何度も自分を責めた。



 彼女を見送ってからどれくらい、ぼんやりと昔を思い出していたのか。
 ようやっと主人の意を汲んで歩き出した足は、やがて煙草の自動販売機にぶつかった。イルカは思い付いたように小銭を探った。
 ボタンを押すと同時に、ガタンと箱の落ちた音が響いた。


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