34 デラシネ
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デラシネの悲しみ。
長らく別れたままだった彼女。突然の再会にイルカは目を見張った。 「元気だった? イルカ」 低く落ち着いたその声は、いつでもイルカに甘く響いていた。 気持ちを残したまま別離を迎えた彼女が、記憶の中と寸分違わぬ姿で微笑んでいる。思い掛けない再会にイルカの気持ちは大きく揺り動かされた。 二人の間には確かに一定の時間が流れていたが、それでも彼女は変わっていないとイルカは思った。いやそれどころか時間がどんどん巻き戻ったような錯角さえ覚えた。 「いつ帰って‥‥」 「ついこの間。人手不足だから戻れって」 「そっか。‥‥長かったな」 「本当に。思った以上の長期戦になったわ」 お互いの空白の時間を埋めるべく近況を語り合う。 「里も変わったわね。ちょっと驚いたわ」 「そうか」 「ええ。この辺りは変わらないけど」 懐かし気に辺りを見渡す彼女。 「報告所はこの前も無事だったから」 俗に木の葉崩しと呼ばれた、里の壊滅を狙っての音隠れと砂隠れの進攻があったばかり。表面的には元通りに見える里も一皮向けば今だ生々しい傷を抱えている。 足りない友の顔、知己の姿、辛くなる一方の任務のローテーション。九尾の災厄とは比ぶべくもないが、下忍一年目の駆け出しの者ですら、貴重な戦力と数えられ方々へ送りだされていた。遠隔地への任務に赴いていた者も状況が許す限り木の葉の里に戻されている。彼女もその一人らしい。 「酷かったようね。‥‥三代目の事は向こうで聞いたわ」 「そうか」 言葉に詰まったイルカは無理矢理話題を探した。 「そういえば、カカシ先生と任務一緒になったんだって? 聞いたよ」 「え? ああ、はたけカカシね。うん。その時にイルカの事教えてもらったわ」 「俺もあなたの事色々聞かれたよ。あの美人誰って」 それに小さく彼女は笑った。その笑顔に眠っていたはずのイルカ気持ちが頭を擡げる。 「‥‥‥これからは里に?」 「ええ。今の所は。特に外への要請も無いし」 期待を潜めたイルカの問いにさらりと彼女は答えた。はぐらかされた気もしないでもないが、またイルカの気持ちが浮き立つ。 「あ、じゃ」 「あのね、イルカ」 イルカの言葉を遮った彼女に何故かイルカはたじろいだ。当たり障りの無い空気が消え、小さな逡巡が彼女の瞳の中を走ったのをイルカは見逃さなかった。 そよと吹いた風が彼女の黒髪を揺らし、一緒に長い睫毛も微かに震えて見えた。 「イルカ」 「‥‥何」 「私ね、今度結婚するの」 その言葉にイルカは頭を殴られたような気がした。 「‥‥いつ?」 絞り出した声は掠れていなかったか。 「早いうちにって思ってるの。里に戻ったから丁度いいって」 「そっか」 それ以上何も言えずイルカは彼女から視線を逸らした。 「なんだイルカ。喜んでくれないの? 昔の彼女が幸せになろうっていうのよ。お目出度ぐらい言ってよ」 全く持ってその通りだとイルカも思う。 イルカから未練がましい視線を向けられているのを気付いているだろうに、イルカの気を引き立てるべく、わざと茶化した言い方をしてくれた彼女の優しさには感謝するしかない。だがその優しさがイルカには辛かった。 ‥‥優しくしてもらって辛いだなんて、大概俺もこの人に甘えすぎだろ。 彼女と付き合っている頃、喧嘩をしても結局最後には彼女が許してくれた事をイルカは思い出した。 「こんなにすぐイルカに会えるって思わなかったけど、会えてよかった」 「うん」 瞬きを繰り返すイルカに、静かに彼女は訊ねた。 「今、イルカにはいるの? 側に居てくれる人」 「いない」 間髪を入れない早すぎる否定の言葉に、彼女が僅かに目を見開く。 「今は任務こなすので手一杯だから、そんな暇無いし‥‥」 イルカは慌てて言葉を継ぐ。身内に走る動揺を押さえ込むようにイルカは知らず拳を握った。その様子を見咎めた彼女は少し寂し気な笑みを浮かべた。 「その様子じゃ、今でも脈はあったのかもね」 「え?」 その意味を図りかねたイルカに彼女は小さく首を振り、そしてイルカは永遠に彼女の真意を知ることは叶わなかった。訪れた沈黙は何を隠す為だったのだろうか。優しげな彼女の微笑みの内に飲み込まれた言葉を引き当て損ねたイルカは、もう一度拳を握った。 「イルカは」 「‥‥な、何?」 長いとも短いとも知れぬ沈黙の後、ふと小さく口元を綻ばせた彼女は改めてイルカを見、そして漂う空気を一掃するかのように話題を転じた。 「イルカ。なんだか前とは変わったわね」 「何? 老けたとか?」 敢えて変えられた話題にイルカが首を竦めて見せると、 「ううん。いい男になったわ、イルカ」 「俺が?」 「そう。前はどこかフラフラして、何て言うの‥‥根無し草みたいなところがあったから。でも、もうあの頃のイルカとは違うみたいね」 「そうかな」 「ちょっとだけ、落ち着いて見えるから」 「‥‥‥」 「もう行くわ。会えて良かった。‥‥‥それじゃ、イルカ」 昔はイルカのものだった、大好きだった彼女の微笑み。それを残して彼女はイルカの前からいなくなった。 確実にまたイルカからひとつのものが消えた。 彼女を見送ったイルカは、ややあってから、ひとつしそびれた事を思い出した。 「お目出度って言うの、忘れた」 でも祝福の言葉など、きっと言えない。 |