32 行く方
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ホントに俺、何やってんだ‥‥。
やっと自分の思い通りに動いた指を、暫し呆然と見つめたカカシは、己に不可解な行動を取らせたその原因にゆっくりと視線を移した。 背も涙も剥き出しのまま無防備に眠る男を。 背を向けて眠るイルカ。 蒲団の上掛けは彼の腰を起点に巻き込まれ、つられて上半身がはだけて裸の背中が晒される。その背の一点に視線を奪われ、グルグルと回っていたカカシの思考がぴたりと止まった。 イルカの背の傷。 傷の場所や大きさから見て致命傷となっても不思議は無い程のそれ。周囲より一段色の薄い皮膚が僅かに引きつれている。これがナルトを庇った傷だろうとカカシは見当をつけた。 ナルトが禁呪の巻物を持ち出した件。それがどう決着したのか勿論知っている。イルカがナルトを唆したアカデミー教師に碌な攻撃もせず、ただナルトを庇うばかりだったという事も。例え相手が同僚でも殺されかけながら反撃もしないとは、何とお目出たい奴なのかとその時は呆れたが。 「それってアンタだったんだよネ」 その呆れた男が自分の隣で眠っているとは、何の因果なのだろう。 忍界大戦の名残りと九尾の災厄。この二つに飲み込まれて生きてきた自分達。 酸いも甘いもと言うには憚られるが、あの混乱の最中、生き残る為にどんな理不尽も受け入れてきた。清濁合わ飲むのは当然。それが出来てこそ一人前の忍とさえ思ってきた。だから彼の不可解な行動にしばしば惑わされる。 我が身を庇って当然。況してや義はイルカの側にあったはず。なのに争うを善しとせず、またそうまでして守ったナルトに相反する葛藤も抱えていた。今やそれも解決したらしいが、消化しきれない気持ちもまだあるようだ。 この、本音も建前も入り乱れた男の不確かさがカカシの気を惹く。 直情気味な感情回路と複雑な思考回路。分かり易いようでカカシには理解不能な行動をとるイルカによって、カカシの感情は奇妙に揺さぶられ、一つの記憶を刺激される。 ナルトとイルカ。それは自分と四代目をどこか想起させた。 預かっている下忍七班を見ていると、どうしても自分が組んでいたスリーマンセルと比較してしまう。曰く付きのスリーマンセルであってもその班組は本当に上手く出来ていると、取り合わせの妙に感心するのもこんな時だ。 写輪眼云々を抜きにしても、サスケのその才能の突出振りやそれ故に焦る様が、嫌でも昔の自分を思い起こさせる。ナルトよりもサスケの思考は共感し易い。だがナルトと自分を重ねてしまう時もままある。それは彼がイルカと一緒にいる時だ。 早熟さ故に周囲と歩調を合わせられず、絶えず腫れ物扱いだった自分。そんな自分をただの部下で大切な仲間だと認めてくれた四代目。その関係性をナルトとイルカの中に見つけた。だからナルトとイルカを見ていると自分と四代目を知らず重ねてしまう。 ナルトとイルカの関係に、否、ナルトに構うイルカに自分がこだわるのは、それが原因だろうと薄々思わないでもいられない。 三代目によればナルトの人間関係構築における基点はイルカだ。己のそれが四代目であったように。 自分も含め仲間でありライバルであるサスケや、思いを寄せるサクラの存在も大きいだろうが、その根幹にいるのはイルカと見て間違いない。イルカという土壌があってこそ、臆する事無く他者へと枝葉を伸ばせるナルト。 こうしていてもイルカへの全面的な信頼を雄弁に物語るナルトの瞳を思い出せる。その眩しいまでに揺るぎない気持ちを、明け透けに自分に語るナルトの口調すら。果して、自分も四代目をそんなふうに見つめていたのだろうか。 ‥‥ナルトはいいよネ。イルカ先生に好き好きって大声で言えて。 そう思った途端、何を子供じみたことをと些か恥ずかしくなった。ナルトがイルカへ向ける、子が親を慕う以上にどこか盲目的な彼の気持ちが自分にも刷り込まれたのだろうか。 「好きって何だソレ‥‥」 言える相手が居るのを羨んだのか。それともその対象がイルカだからか。 親子のように兄弟のように互いを必要とする彼等の姿にあてられたのかもしれない。師の手も親友の手も失ってしまった自分とは違うと。 だが、それならばと思う。 もし自分が失ったようにナルトもその支えを失ったならば、彼は一体どうなるのだろう。今ナルトに決定的な「喪失」を与えられる相手がイルカだけだとしたら。例えばだ、今自分が彼に手に掛けたらばナルトは‥‥? ‥‥‥アンタとナルトを見てると、怖いヨ。 あってはいけない未来図にカカシは瞠若した。仮定とはいえ自分の愚かしさに目眩がする。イルカ同様自分もかなり酔っているのだろうと、カカシは頭をひと振りし、碌でもない考えを追い払った。 それもこれも、イルカのような変わり者の面倒をみたからだと、全てイルカの所為と言わんばかりの悪態を自分の為についてから、カカシはイルカに巻取られた上掛けを取り戻そうと引っ張った。それに引き擦られイルカの身体も反転しこちらを向く。それにまた何故か動揺した。 イルカの苦しそうに寄せられた眉間の皺と小さく開いた唇に、身内の熾き火にまた風が吹き込んだ気がした。 ‥‥‥そう。もしナルトからイルカを奪い去るのが、死や別れではなく、俺だったら。 そう想像した時に背を駆け上がった戦慄。冷たい震えは甘い痺れにすり変わる。だが一方で、何を莫迦なとその想像自体を振払うようにカカシは強く目を瞑った。 イルカは、ナルトだけでなく自分にも食い込んでいるのだろうか。 今度はイルカを「怖い」と思った。様々な意味で自らを侵食するイルカを。 だが取り敢えずイルカによって、引き起こされた困った問題をひとつ解決しなければならない。まずはこの熱をどうにかしなければ。 ‥‥くそっ、イルカめ。明日花街行ってやる。 長い夜にならない事をカカシは祈った。 |