31  行く方


‥‥やっと寝たか。

 喋り止んだイルカの頭を、カカシはポンポンと撫で続けた。
 何故か煙草が欲しくなった。
 黒いシッポ付きの大型犬。
 カカシは飼い犬を宥めているような心持ちになったが、それにしても可愛らしくない犬だと苦笑した。
 イルカの目元を覆っていた手は、持ち主が意識を手放したのを受けて、自然と顔から離れた。そのままだらりと寝台からはみ出す。カカシの左側に陣取ったイルカはそこそこ遠慮がちに端に寄っているが、それでも狭いのは仕方が無い。
 手の動きに伴って、解かれた髪がイルカの顔を隠す。
 枕まで取られたと思いながらも、そのままでは鬱陶しかろうと、イルカの顔を横断する彼の長い髪を横に流してやった。シーツの上に黒い髪がうねって広がった。
‥‥イルカ先生って、こんな顔してたっけ。
 寝顔を見るのは初めてではないし、ましてや男の顔を観察する趣味は無い。それでもカカシは引き込まれるようにイルカの顔を覗き込んでいた。
 彼の意志の強さを示す確かな形を描く眉。まっすぐな鼻梁とそれを横切る傷。
 酒精の所為か、軽く開かれた少し肉厚な唇。
 普段は結わかれている髪が下ろされ、常よりも二つ三つ若く見える。

‥‥喋ってないと結構よく出来た顔だな。意外と女受けの良さそうな。あ、でも少しチンピラ入ってるかも。

 これでイルカの人となりを知れば、イルカに靡く女性もさぞ多い事だろう。以前イルカと恋仲だったという黒髪の女を思い出し、これならばあの美人と付き合っていたのも頷けると思った。

‥‥でも可哀想に、眉間に皺寄せたまま寝てるヨ。

「苦労が多いネェ」
 思わずそう漏らし、またイルカの頭を撫でた。これでは犬は犬でも忍犬ではなく愛玩犬だなと思う。だがイルカに愛玩犬というおよそ似通わない組み合わせが可笑しかった。
 イルカの頭をポンポンと撫でていた手は、何時の間にか彼の髪の上をゆっくりなぞっている。それを嫌がりもせず眠り続けるイルカが、どうした訳か可愛らしく見えてくるのだから自分も結構酔っているらしい。手は飽きる事無く彼を撫で続けた。
 ふと気付けば、泣いたまま眠るというお子様な芸当を見せたイルカの目尻から、溜まっていた涙がこぼれ落ちた。耳孔に流れ落ちる前にその雫を指で止めてやる。
「寝ながら泣かないでヨ‥‥」
 いい歳をした男の、子供のような様にふと胸を衝かれたカカシは、またイルカの髪に指を滑らせた。
 何度もそれを繰り返している内に本格的に煙草が欲しくなったカカシは、期待は出来ないと思いながらも寝台の右手に置かれた引き出しを掻き回した。オイルの切れかかった安いライターが一つ転がり出てきたが肝心の煙草が見つからない。やはり無いかと落胆した時それに気づいた。
 先程からイルカの髪を撫で続けていた己の左手が、何時の間にやら髪の中に差し込まれていた。あまつさえ髪に指を絡めている。
 犬相手ではない、まるで情を移した女を愛撫するような自分の指にカカシは怯んだ。

‥‥ちょっ、ちょっとマズイデショそれは。

此処に居るのは犬でも夜を共にする女性でもない。イルカだ。自分の振舞いを「マズイ」と感じたカカシは、あり得ないはずの状況に動揺し、イルカの顔を覗き込んだまま動けなくなった。

‥‥こっ、これはイルカ先生。男、男、オトコ! オレの範囲外! ってオレ欲求不満? いや枯れるにはまだ早いんでいいんだけど。あ、いつものイルカ先生っぽくないからマズイんだ。そ、髪、髪のせい〜!

指は半端な場所で止まったまま。
下手に意識をした所為か、動きを止めた指先に反してカカシの心臓は忙しく動き続けた。
ドキドキと妙な効果音付きで。
 影縛りの術にでも縛られたかのように動けなかったカカシだったが、カカシを縛ったのがイルカならば、その呪縛を解いたのもイルカだった。
「うん」
寝言とも寝息とも付かぬ声を出したイルカは、寝返りを打ってカカシに背を向けた。
そしてカカシの指は宙に取り残された。


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