30  行く方

「も〜着きましたヨ。あっ、そこでサンダル脱いでっ」
 カカシはこの酔っ払いを潔く自宅に連れ帰った。
 イルカの家の場所は大まかに知っているが、イルカを送り届けてから自宅へ戻るのが面倒に思えたのだ。
 掃除をした記憶は遥か彼方で家の中は雑然としているが、イルカ相手に気取る必要も無い。床に置きっぱなしの細々とした物を足でどかしながらイルカを室内に誘導した。玄関から僅かの距離でご丁寧にも何かに躓くイルカに、仮にも忍ならそれくらい避けろと呆れるながら、フラフラ揺れるイルカを起き抜けのまま乱れた寝台にどうにか腰掛けさせるのに成功した。
「あんた明日午後からって言ってたデショ。アルコール抜いといた方がいいですヨ」
 カカシは冷蔵庫まで往復しイルカに無理矢理水の入ったグラスを持たせた。何故ここまで彼に対して甲斐甲斐しいのか、全くもって自分でも謎だ。
「カカシセンセー、優しーなー」
「ハイハイ、俺は優しい男ですヨ」
 イルカの咽がコクコクと水を飲み干すのを見るともなしに眺めるていると、葬儀の前日にイルカに無理矢理飲ませた酒を思い出した。
「そう言えば此処来るの二回目か‥‥。余所のウチってなんかキンチョーする」
イルカは緊張の欠片も無い様子でのうのうと言ってのけた。遠慮無しに室内を見回し、寝台の枕元に散乱するカカシの愛読書を目敏く見つけ、
「カカシ先生ホント好きですねー、イチャパラ」
バラバラと本をめくり「いっつも、こいつら元気だよなー」と斜読み、挙げ句ヘラヘラと笑い出した。緊張どころか十分寛いでいるようにしか見えない。
ところが笑っていたイルカが急に静かになった。
「あれ? 字が回ってる‥‥新しい術‥‥?」
「んな訳ないデショ。この酔っ払い」
いい加減嫌気が差していたカカシがあっさり切って捨てると、イルカは情けない声をあげた。
「カカシセンセーが、酔っ払いなんて冷たいこと言う」
「ホントのことデショ」
「どーせ酔っ払いですー。カカシ先生には何時もカッコ悪くて、みっともないとこばっかり見られてるから、もういいんです」
笑い上戸の饒舌系な酔っ払いだったが、今度は愚痴に転身したらしい。 格好が悪いどころかクダまで巻き始めた。
 もう一杯水をと催促するので、酔っ払いには逆らわないでおこうとカカシが素直に冷蔵庫へと足を向けた。
「カカシセンセー」
イルカの声が追い掛けてきた。
「ナルト、強くなりましたね」
「うん」
「俺ね、ナルトの本選見に行ったんです」
それは知らなかったと、カカシはイルカの声を背に受けながら思った。
「凄かった‥‥驚きました。もうアカデミーの時の、負けん気が強いだけのアイツと違ってた」
冷蔵庫からペットボトルを持ち出し、カカシはイルカの正面に座った。
「俺、アイツが強くなって嬉しいんです。今は」
先程と一転、イルカの自嘲気味な苦い顔。何故か目のやり場に困ったカカシは、並々とグラスに水を注いでやった。
「‥‥ナルトのアレ、見た時は、もうダメだったけど」
両手の中のグラスを見つめてイルカは呟いた。
 その表情に、そのまま空に消えていったイルカの言葉を追いかけて、「アレ」が何を指し「何がダメ」なのかと聞くのが何故か躊躇われた。
「‥‥でもアイツ、あんなに強くなっちまって、もう‥‥」
暫しの沈黙の後、辛気くさくなった空気を一掃するようにイルカは声を大きくした。
「カカシ先生とか自来也様とか。すっごい人に指導してもらえて良かった」
はあっ、と天井を仰ぎ見たイルカは酒臭い息を吐き出した。
「なんか、俺なんか‥‥もう何にも‥‥」
皆まで言わずイルカはグラスの水を一気に飲み干した。
結ばれた髪がその主人と同じようにへたりとしている。

‥‥どこまでもナルトな訳ネ。

本日のイルカの性急な飲み方の原因は、どうやらナルトに起因するらしい。イルカの気持ちをこうも左右するとは、ナルトは何処までイルカの奥深くに食い込んでいるのか。これでは事在るごとにナルトが、イルカイルカと連呼するのも頷ける。
 カカシはやれやれと思いながら、イルカから空のグラスを取り上げた。
「イルカ先生、もうアンタもう寝た方がいいヨ」
カカシが諭すと、うんとイルカが小さく返事をした。言われるがままに寝台に倒れこもうとしたイルカに、
「ベストぐらい脱ぎなさいって」
声をかけるとやけに大人しく従った。装備のぎっしりと詰まったベストがゴソリと床に落とされ、辺りの埃を小さく巻き上げる。額宛が取り去られ、アンダーの上が淡々と脱ぎ捨てられた。寝台の横はイルカの衣類でみるみるうちに小山が出来、最後に面倒そうに髪の結い紐が解かれた。
 きれいに筋肉のついた身体がそのまま寝台に沈みこむ。カカシは慌ててイルカの下敷きになるところだった蒲団の上掛けをどかし、それを倒れ込んだイルカに被せた。
「飲み過ぎた〜」
あっさりと蒲団の住人となったイルカは、室内灯が眩しいのか手で目元を覆っている。
 どうにか酔っ払いを寝かし付けたカカシは、自分も寝支度を整えた。
 こちらとて忙しい身。さっさと寝ようと寝台に歩み寄ったが、そこはイルカに半ば占領されている。押し入れのどこかに詰め込んであったはずの予備の毛布を思い出したが、本当に在るのかも怪しく、探す気も早々に失せた。イルカを部屋に連れて来たのを往生際悪く後悔したがもう既に手後れ。ここは寝台を折半するしかなかった。
「ほら詰めて」
室内灯を消し枕元の灯りつける。もう寝ているだろうが一応自分も蒲団に入るぞと断わりを入れた。すると、
「カカシ先生」
まだイルカは眠っていなかった。それに些か驚いたが「何?」と律儀に返事をしてしまう。
「もー昔のことなんですけど」
イルカが間延びしたリズムで途切れ途切れに言葉を繋ぐ。
「アンタが俺に聞いてきたこと、覚えてます?」
「うん?」
「なんで庇うのかって、ナルトを。覚えてます? 何度目に会った時かな。アンタあん時は、スゲー嫌なヤツだったなー‥‥‥」
「嫌な奴でスミマセンネェ」
酔っ払いの戯言と紙一重の言に一々青筋を立てながらも、カカシは大人しく聞き続けた。
「怒んないで下さいよ‥‥。それで、どーしてって理由」
クスンと鼻が鳴った。
「んで俺も、聞かれても上手く言えなくて‥‥」
他の奴には何でも言い返せたのに、とイルカが小さく続けた。
「最初はどうでも、今は庇いたいから庇うの。それだけ。好きでやってるだけなんです‥‥アイツが可愛いの」
「‥‥‥」
「でも、あそこでアイツを信じてやれなくて。それで三代目もいなくなって‥‥俺もう、どうしていいか分かんなくって」
イルカは苦しそうに息を継いだ。その肩が小さく震えた。手で隠されているので目元は見えない。イルカは今どんな顔をしているのだろうか。
「なのにナルト、葬儀の日に俺のこと心配して来てくれたんです。ナルトを信じ通してやれなかったのに‥‥‥。アイツをね、信じきれてなかったのに」
「イルカ先生?」
「それなのに、ずっとアイツの支えのつもりで‥‥おこがましいにも程が‥‥」
その後はもう言葉になっていなかった。
ヒクッ。イルカの咽が鳴った。
 目元を覆っていた手の下から涙がついと流れ落ちた。カカシはそんなイルカを言葉もなく見守るしかなかった。
 カカシには伺い知れない所で、イルカとナルトの間に何かしらあったのは確かなようだ。そしてどうやらその葛藤を潜り抜けたらしい事も。ナルトナルトの連呼はその為らしい。
 カカシの目にイルカは、無条件に愛情を雛に注ぐ親鳥のように思えた。

‥‥たまにはアンタも保護者の役、休みなさいヨ。

最後まで付き合おうとカカシは腹を括り、大型犬を宥めるようにイルカの頭をポンポンと軽く叩いた。
「大丈夫だよイルカ先生。アンタはいつまでたっても、ナルトの保護者で支えだヨ」
 イルカから返事はなかった。


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