26 崩れる
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今日も今日とて。
里の防衛線の維持と復旧が急務の現在、それをこなしながらも細切れに降ってくる任務を切れ目なく請け負う。今日も飛び入りの任務を片付けその報告に赴いた。 里の混乱は受付ひとつとっても良く分かる。 人手不足の為に動かせる人員は既にあちらこちらと割り振られている。その為受付も事務方だけで、その担当者もお世辞にも手慣れているとは言えない。三代目が座していた席には、今日は御意見番の一人が腰を据えている。 ‥‥‥イルカ先生も任務出てるのか。 カカシは報告書を受付に確認して貰いながらぐるりと受付所を見回した。 ‥‥‥なんだか、つまんないネ〜。 はあーと思わず吐いた溜め息が漏れ、カカシの報告書を処理していた事務方が強張った顔でこちらを見上げた。 「あ、あの‥‥何か‥‥」 「ナニ? 不備でも?」 カカシは極力普通に聞いたつもりだったが、何やら余計な威圧感を与えてしまったようだ。カカシを噂でしか知らない者にはよくある反応だ。腫れ物に触るような扱いには慣れている。 ‥‥‥イルカ先生にはこっちの方が受付越しに押されてたような気がしたけど。 「いえ、不備はありません。お疲れさまでした‥‥」 尻窄みになる受付担当者の語尾に、頭の片隅では悪いなぁと思いつつ、カカシはくるりと踵を返した。そのまま任務報告所を後にし長い廊下を歩く。自分の無愛想な態度も一因であると分かってはいるが疲れが余計に増した気がした。受付を苛めるなと言わんばかりに御意見番に睨まれたのも面白く無い。 どうした訳か、元気のいいイルカの「お疲れさまでした!」が恋しくなってきた。 「‥‥イルカ先生」 「何ですか?」 ぼろりと出た独り言に、よもや返事があろうとは。 「って? イルカ先生?」 カカシは驚きブンと音がしそうな勢いで振り返った。全然忍らしくない。 「はい、そうですけど」 大人では数少ない、自分を「先生」と呼ぶ人間。そこには小振りな荷物を背負った、どことなくくたびれた感のあるイルカが立っていた。 「イルカ先生、任務だったんですか」 「ええ里の外に。やっと今日帰って来れました」 「里出てたんだ」 「今アカデミー休みなんで、それで」 「そうですか。お帰りなさいイルカ先生」 それにイルカは一瞬「おや」という顔をしてから、 「有難うございます。カカシ先生」と笑った。 カカシは急に気分が浮上してくるのを感じた。さっきまでの苛ついた気持ちが消えていく。イルカ先生は昨今流行りの癒し系ってやつか? とぼんやり考えていたら、「それでは」とイルカは足早に立ち去ろうとした。 「ちょっと! イルカ先生!」 カカシは反射的にイルカを引き止めた。 「どうかしました? カカシ先生」 そう問われるとカカシは言葉につまった。自分こそこの行動を問い質したいくらいなのだから。 「えーとね、イルカ先生」 「はい?」 「あの‥‥話。話があるんですヨ」 「何ですか?」 はいどうぞとばかりに、こちらを向かれカカシは焦る。 ‥‥えーと、話、話と。何かないのかよ、俺? イルカと離れ難いがための咄嗟のでっち上げだから、そもそも用件などある筈がない。 ‥‥あの結い紐、返すか。 ずっとベストの胸ポケットに入ったままのイルカの結い紐。だが咄嗟に出たのは「ナルトの事で」だった。 「ナルト、どうかしたんですか?」 イルカはそれにすぐに食い付いてきた。 ‥‥この反応の早さ、これでこそイルカ先生。 カカシはそう思いながらも以前引っ掛かりを覚えた、イルカのナルトへの戸惑いのようなものが消えているのに気付いた。元に戻ったといえばそれまでなのだが。 「ナルトを人に預かって貰ってるんですヨ。今一緒に修行に出てます」 「預かるって‥‥? あの、ナルトから修行に出るって連絡は貰いましたが」 「あ、そうなんですか」 ナルトもこんなところは抜かりが無い。 「本選の前も修行つけて貰ったって。今度は凄い術教えて貰うって。‥‥カカシ先生もご存じの方なんですか?」 「ええ」 だがイルカは眉をひそめた。 「‥‥でもその人、大丈夫なんですか?」 「え? 大丈夫も何も」 なんせあの三忍ですから。カカシはそう言おうとしたが、 「だってエロ仙人だなんて名前、すごい怪しいじゃないですか」 「はあ!?」 エロ仙人? 「カカシ先生がサスケの修行で忙しいのは知ってますけど、そんな変な人にナルトを預けるなんて。そりゃ、カカシ先生がする事に口出すつもりは無いですけど‥‥」 イルカは口を尖らせている。 ‥‥あ〜、まだ根にもたれてたか? 見かけによらずしつこいネ。 カカシは後頭部を掻きながら、違いますと訂正した。 「いや、ナルトを預かってもらってるのは、自来也様ですけど」 「えっ!」 イルカの不満に尖っていた口は今度はパカリと空いた。見事な間抜け面にカカシは口布の下で密かに笑ってしまった。 「自来也様ってあの三忍の? じゃエロ仙人って自来也様のコトですかぁ!?」 「まあ、多分」 何故エロ仙人などと妙な名前を名乗っているのかは不明だが、確かにナルトを預かっているのは自来也だ。 カカシが「間違いないですヨ」とイルカを安心させる前に、 「うっわー心配して損した。でも良かったー。そんな凄い人に修行つけてもらえるなんて!」 イルカが顔を赤くして喜んでいる。さっきまでのくたびれた様子などもう微塵もなく、瞳をキラキラさせている。このまま此処で万歳三唱でも始めかねないと思うほどの喜びようにカカシまで嬉しくなってきた。なので更にサービスしてみる。 「ナルト、チャクラの使い方も上達しましたヨ」 「チャクラの?」 ナルトはチャクラの使い方が下手だ。それはナルト自身と九尾の二つのチャクラが混在する事に起因するとイルカも知っている。 「自来也様の修行で、もう一つの方も自分で使えるようになったんですヨ」 それはすなわち九尾のチャクラも己が物と出来たと同義だとカカシは簡潔に告げた。無意識に周囲を探って人気が無いのを確かめてからだったが。 イルカは目を見開いてカカシを見つめている。イルカ先生驚いてるなあ、とカカシはイルカの驚愕に固まる顔を見続けた。だが、 「そうですか、それであの‥‥」 真率な顔でそう呟いたイルカは何かを納得したように小さく頷き、それから破顔した。 暫時、カカシの視線はイルカの笑顔に釘付けになった。 「ホント良かったです! これでナルトも安心です。カカシ先生有難うございました! じゃ、これで!」 イルカは言いたい事を言ってのけた後、走り去ってしまった。 「イルカ先生!?」 後に残されたのは、走り去るイルカに向けて手を伸ばしたままのカカシ。 「つれないネ‥‥」 呼び掛けはイルカにはもう届かなかった。 足は習慣のように上忍待機室に向かった。 カカシは左手の人指し指と中指をニ本あわせ、そこにイルカに返しそびれた結い紐をクルクルと巻き付けては解きを繰り返した。何度同じ動作を繰り返したのか分からなくなった時 「暇そうね」 凛と張った声がした。紅だ。後ろにアスマもいる。 「任務はもう終わったの?」 「今日のはね」 紅は優雅に、アスマはドサリと上忍待機室の備え付けの長椅子に腰を下ろした。 そのまま情報交換の場となり、話題は担当の下忍達へと流れた。 如何せん任務に就ける忍の数が絶対的に不足している今、これまでのように下忍のスリーマンセルに担当上忍が監督をするという余裕のあるチーム編成は出来なくなっている。下忍は下忍で里の復旧作業に組み込まれたり、下忍のみで任務に参加したりとイレギュラーな日々を過ごしていた。アカデミーも休講で教師も任務に出ているとイルカも言っていた程だから当然といえば当然ではあるのだが。 「修行とか、なかなか見てあげられないから心配」 奇麗な顔をして、熱血青春男ガイ顔負けの熱い指導をする紅が溜め息をつく。 「全くだな」 面倒くさいが口癖の男も、修行量の少なくなる下忍の事はやはり心配らしい。 ‥‥俺もサスケをどうにかしないとネ〜。明日にでも修行につきあってみるか。 パックンに伝令に行ってもらおうと、カカシは口寄せで忍犬を呼び寄せるべくベストから巻き物を取り出した。入れ替わりに空いたポケットにイルカの結い紐をしまおうとして、それを紅に見咎められた。 「それ、さっきからクルクルって何?」 先程からずっとカカシが指に紐を巻き付けているのを訝しがっていたらしい。 カカシは結い紐をポケットの下に沈めると、 「元気になるおまじない、てなとこだヨ〜」 と顔をほころばせた。さっき見たイルカの強烈な笑顔を思い浮かべて。 「なんだありゃ」 機嫌良く上忍待機室を後にしたカカシを、アスマと紅は呆れ顔で見送った。 |