20  渦

そして彼と一緒に呑む酒は。



「どうかしました?」
 つらつらと流れる侭に委ねていた意識がイルカの声で現実に引き戻される。カカシ一人、くだけた気安い喧噪から遠ざかっていたようだ。
 三次試験の本選を控え、サスケの修行と上忍としての任務を断続的にこなしているカカシは、本部棟に用向きがありそこでイルカと出くわした。お互い腹が減ったと顔に書いてある状態だったので、誘いあって今に至る。
 職業柄宵っ張りの忍達の為に終日営業の店もぼつぼつある。だが深夜を過ぎて尚旨い酒を飲める場所は花街まで足を向けねばならず、その面倒を考えると「飲めればそれで良し」と近くの定食屋に落ち着いた。
 うっすらと目元を赤くしているイルカは、疲れているためか早々に酔いが回ったようだ。
「そうそうイルカ先生」
「はい?」
「この間任務でいきあったイルカ先生の知り合い」
イルカが聞いてますというように頷く。
「彼女と付き合ってたんデショ」
盃越しにカカシはイルカの反応を窺った。
「そんなコト話したんですか」ヤだなーとイルカが溜め息をついた。
「付き合ってったというか、付き合ってもらってたというか」
イルカは放置していた塩辛をつまみだした。白いご飯欲しいかもと呟いている。
「任務で知り合って。色々あって彼女のところに転がりこんで、それで面倒見て貰ってました」
「ふうん」
「そんなトコです」
イルカはそれで話を終わらせたいらしいが、ここで終ってはつまらない。
「イルカ先生の口癖は『結婚しよう』だったって聞きましたヨ」
猫背をさらに曲げてイルカを見上げるようにし「もっと続きを」と促した。
「うっわ、そんな事まで」
照れ隠しに頬を掻くイルカ。
「そんなに好きだったの?」
「‥‥ええ、まあ勿論」
目を泳がせつつ、イルカはカカシのお猪口に酒を注いだ。
「ガキだったんで甘やかして貰ってました。知り合ったのもごちゃごちゃしてる時だったし‥‥」
イルカは残っていた酒を一気に流し込み、空の盃を手の中で弄びだした。
「でも結局別れて、いや、なんか離れてそのままになって‥‥」
イルカの眉間に皺が寄る。
「ま、元気にやってて良かったです。あの人には幸せになって欲しいんで」
と自分の言葉に頷いた。
「うわ、何それ。気取り過ぎ」
カカシはまぜっかえして笑った。これではイルカが昔付き合っていた女性の話は結構呆気無く終わってしまいそうだ。
「そういえばイルカ先生って、年上好きなんですか」
「そういえばって‥‥まだ続くんですか」
「ねえ教えてヨ。参考にします」
「何の参考にするんだか‥‥。まー別に年上じゃないと駄目って訳じゃないんですけど、年上じゃないと続かなかったっていうか‥‥」
 簡単に口を割ったのは酔いが回っているからか。ここはもう一押しとカカシはイルカの空の盃に酒を注いだ。それにイルカが律儀に礼を言う。
「別に意識して年上の人と付き合うわけじゃないですけど」
「それで木の葉病院の医療班の女の子とは長続きしなかった、と」
「え?」
きょとんとした顔のイルカにカカシは、今までのは前フリと思わせぶりに笑ってみせた。
「イルカ先生に振られたって」
「何ですかそれ? っていうか医療班のコってどんだけ昔の話してんですか。つーかなんでそんな事知ってんすか!」
「イルカ先生、声大きいですヨ」
あっ、とイルカは慌てて口を押さえた。
「アンタの所為だろ‥‥」
心持ち赤くなった顔で睨まれても、ますますそれはカカシを楽しませるだけだった。こんな時のイルカの反応は単純で、その裏の無さがカカシをどこか安心させる。
「なんでそんなの知ってんですか」
 イルカは口を尖らせながら、つまみのサキイカを二つに割いた。これあげるから白状なさいと割いたサキイカの小さい方をカカシに寄越す。
「分かった。医療班のコと付き合ってるからそんな話が出た」
「違いますヨ〜」
「じゃ医療班のコ達と飲んだ」
「最近はそんな楽しい行事やってませんヨ」
「それは残念。上忍のカカシ先生ならモテるでしょうに」
「上忍は関係無いデショ。まるで上忍じゃないと俺はモテないみたいじゃないの」
「俺の顔見れば向うから寄ってくると言いたいんですか。まあ、カカシ先生風体は怪しいけど口布取ると結構格好いいですもんね」
「酷いなぁ、俺のどこが怪しいんですか」
「どこがって、そりゃあ」
口布があると怪しい風体とは失礼なと思ったが、そう言えばよく同じ事を言われるなとカカシは思った。そんなに口布が変かと少々傷付く。
「あー、もう種明かししますヨ」
イルカに既に場の主導権を握られてしまったカカシは、後頭部を掻いた。
「ちょっと前に病院で定期検診受けたんですヨ。念入りに宿泊付きで」
忍には定期検診が義務付けられている。身体自体が商売道具でもあるので毒への耐性検査や予防摂取など階級が上になるほど検診も厳しい。
「そこでイルカ先生の噂聞いちゃったんです」
「なんですかー?」
イルカが嫌そうに口をへの字に曲げる。噂話はイルカにとって鬼門だ。
「イルカ先生のスケコマシって」
「なんじゃそりゃ」むすっとしたイルカはサキイカを口に銜えた。
「まったく。ナルトのお色気の術で鼻血噴いたくせに」
「‥‥あれは不可抗力です‥‥アンタ喧嘩売ってんですか」
もはやイルカには敬語も何もない。
「い〜え。それでネ、スケコマシってのは白衣の天使さん達が教えてくれたんですヨ〜」
「天使さんって‥‥カカシ先生が言うとなんかセクハラ親父くさい」
「そりゃないですヨ‥‥まあ、そこで天使さん達がイルカ先生の話してたんですヨ。『イルカ先生って感じいいよねー』とか」
医療班の女性の台詞をカカシが裏声を作って話すとイルカが吹き出す。銜えているサキイカも一緒に揺れた。
「なんですかその物真似、それになんでそんな話聞いてんですか」
「何事も情報が命ですから」
「で、一緒に井戸端会議と」
「いーえ。俺が眠ってると思ったらしくてネ。俺の入ってた検査室で気兼ねなくやってましたヨ」
 上忍でビンゴブック入り、更に独身。噂先行のようだがカカシは医療班の女性のちょっとした興味の的らしく何やかにやと話しかけられた。それに閉口して狸寝入りを決め込んだカカシの横で、カカシが下忍担当だというところから紆余曲折を経、目出たくイルカの登場と相成ったのだ。そこでイルカが医療班の女性に中々に人気があり、さらに過去医療班の女性と付き合っていたなどの情報を仕入れた。彼女達が話を中断して検査室を出て行こうとした頃には話の続きを強請りたくなった程だ。
「でもそれじゃぜんぜんスケコマシには該当しませんけど」
「でも医療班の女の子と別れてすぐ別の人と付き合ってたって。結構ヒドイ男だって天使さん達が言ってました〜」
「ヤダな、俺はいつも誠心誠意のお付き合いを心掛けてます」
笑い方が嫌らしいですよカカシ先生、と前置きをしてからイルカが真面目くさった顔で答えた。
「言いますネ」
「もちろん」
「それで『結婚しよう』なの?」
「結婚したかったんですよ、その時は。‥‥違うな。あの人とは、したかったんです」
「今は?」
「残念ながら相手がいません」
「ホントですか〜?」
「カカシ先生に嘘ついてどうすんですか。‥‥そんなことより本選の予想でもして下さいよー」
口を尖らせたイルカの顔が可笑しくてカカシは笑った。
「まー本命はナルトとサスケです」
「ホントですか!?」
目を輝かせるイルカに、
「ほら、上司がいいから」カカシが自分自身を指差す。
「‥‥‥」
イルカがしつこく銜えていたサキイカが、何故か彼の口から落下した。
「本気で言ったんですけどネ」
「そうですか‥‥期待してます」

 もうすぐ三次試験本選が始まる。


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