17  渦

苦手なんだよ、クソッ。



 何故ナルトを庇うのかとカカシと押し問答を繰り広げてからこの方、二人の間は妙な緊張感を孕んでいた。
 否。そう感じたのは多分にイルカの一方的なもので、カカシにとっては歯牙にもかけない程度のことだろう。それでも、これまでナルト絡みでぶつかり合った人間に比べればまだマシな方だ。何よりナルトに対して敵意を抱いている訳ではないし、下忍の任務も上手くいっているらしい。
 嫌な人間関係はナルトを九尾と看做す奴らとだけで十分だし、ナルトの話によると信頼できる上忍師らしい。同じく里内に常駐の身なので度々出会すし、任務報告も担当するイルカは顔を会わせる機会が殊更多い。それにナルトへの教育上も宜しく無い。

‥‥それに、わざわざ彼女の事教えてくれたし。

 以前イルカと縁のあった女性の近況を伝えてくれた事があった。これを好意的に捉えるならばカカシは決して悪い人間ではない。というよりもこの件があったから無理矢理にでもカカシへの苦手意識を払拭したいのだ。
 何度か逡巡した後ではあったが、本来思い立ったら吉日型のイルカは、ここはひとつ関係修復と敢えてカカシに話しかけてみた。
 下忍七班の報告書を提出に来たカカシに、笑顔のサービス付きでナルトについて尋ねてみると、「サスケをライバル視してますが‥‥」と案外丁寧に答えてくれる。意外といい人かもとカカシへの好感度がささやかながらも上昇した、が!
「実力はバリバリに伸びてますヨ‥‥尊敬するアナタに追い付くぐらいに」
「‥‥‥! ‥‥‥そうですか!」
好感度大暴落。

‥‥下忍になったばっかりの人間に、俺はもう追い付かれるぐらいなのか! アンタみたいな上忍様から見たら下忍も中忍も同レベルにしか見えないって事だよな!

 イルカは文句の一つもつけたいところをグッと押さえつけ、業務用笑顔に摺り替えた。ああ、自分の職業意識の高さを褒めてやりたい。でも「そうですか!」の「かっ!」はもう怒りが滲み出ていたかもしれないが。
 傍から見れば二人の姿は、教え子についてにこやかに談笑する和やかな姿に見えたかもしれない。だがイルカの心中ではカカシへの暗雲を纏った気持ちが吹き溜まっていた。
 そしてイルカの荒れ模様の中、中忍選抜試験関係者に招集がかかった。







「口出し無用!‥‥今はあなたの生徒じゃない‥‥私の部下です」
 イルカとカカシの口論に執務室は静まり返った。
 果して、いつ執務室を辞してきたのか。その後に報告された中忍選抜試験推薦者の事は何ひとつイルカの耳に入らなかった。
 報告会後は、同じく招集をかけられていた同僚達に心配されたり呆れられたりと散々で、今やあの写輪眼のカカシに口答えする向こう見ずな人間扱いだ。何にせよ腸が煮えくり返る思いのイルカだったが、そんなイルカにとどめを指したのはナルトの一言だった。
「イルカ先生、俺ってば、中忍試験受けるんだってば!」
親の心子知らずとはこの事か。
 笑いながらゴム毬のようにイルカに飛びついてくれば水を差す気にもなれず、中忍選抜試験合格前祝いと言って憚らないナルトに一楽でラーメンを奢るはめになった。まさに踏んだり蹴ったりだった。
 戦利品のラーメンを腹に納め、意気揚々としたナルトを家まで送るとイルカが誘えば
「いいってば! 俺ってばもう下忍だから! それにもうすぐ中忍になっちゃうしねー!」
元気に断わられてしまう始末。これではまるで子離れの出来ない親のようだ。
 それでもナルトの背を押せば、楽し気に下忍七班の任務や上忍師のカカシの遅刻癖への文句やらを話して聞かせる。終始浮き浮きとした足取りで一楽からの辿り慣れた道を歩くナルトは、イルカの葛藤など知る由も無い。

‥‥‥下忍になったばかりの、子供子供しているナルト達にもう中忍選抜試験。せめて次の試験まで待てないのか。

イルカがカカシとのやり取りを思い出し怒りを新たにしていると
「先生、イルカ先生!」
ナルトがベストを引っ張りイルカの意識を引き戻した。
「あ、何だ? ナルト」
「ったく聞いてないってばよ、人の話」
「ワリーな、もう一回教えてくれよナルトー」
イルカが拝む真似をして機嫌をとると、ナルトは尖った口元を直した。
「だーかーらー、オレが火影になった時の話してんの!」
ブーとナルトが唇を尖らせる。
「オレがさ、里で一番の忍者になって火影になったらさ、イルカ先生を楽させてやるってば」
「楽ってなんだぁ?」
ナルトの所帯じみた言葉にイルカは思わず吹き出した。
「だからー、オレが食べさせてやるってばよ」
「なんだ、俺の給料が安いとでもいいたいのか?」
「そうじゃなくってー、まあ餃子追加してくんなかったからそうなんだけどー」
「悪かったな」
ナルトの頭をイルカは小突いた。
「じゃなっくてさー」
 ナルトが自分の気持ちを上手く整理して伝えられないのは、中々直らないとイルカは思う。
 幼い頃から周囲との意思伝達を徹底的に欠いていたナルトは、相手に自分の心情をきちんと伝えたり、話の要点を説明するのが苦手だ。話す事自体は好きなようだが話のやり取りが下手で、少々周囲の雰囲気を読みとれない様は、ナルトと周囲とに横たわる壁がつくったのだと思うと胸が痛くなる。その分、例えばナルトの子分格と自認する木の葉丸のような年少者とは、何のてらいもなく付き合えるらしく受けがいい。ナルトは意外と面倒見がいいのかもしれないと思う所以だ。
 言葉を探しあぐねていたナルトは少々言いづらそうにイルカに告げた。
「だからさ、オレが火影になったらイルカ先生が喜んでくれるってば」
「うん?」
「火影って、一番強い忍者ってコトだろ。里のみんなが認めるさ」
「そうだぞ」
「里の奴らもオレが強いって分かったら、いくらオレの中にバケ狐がいてもさ、文句言ったりとか、オレの事でイルカ先生がやられたりとかしないってば」
「!」
ナルトはさも何とも無いように言ってのけたが、イルカは思わず息を飲んだ。ナルト絡みの諍いにイルカが巻き込まれているのを、これまでナルトにはひた隠しにしてきたのに。
「イルカ先生がずっと庇ってくれてんの、オレ知ってるってば」
「‥‥ナルト」
「イルカ先生が悪いんじゃないのに、なんか、オレ、すげーイヤだってば」
ナルトは吐き捨てるように言った。
 下忍になってナルトを取り巻く環境は変わった。
 良くも悪くもアカデミーはナルトを守る砦だった。卒業する少し前からナルトは一人暮らしを始めた。将来的には教師以外の忍や里人と嫌が応にも接触しなければならない。それを考慮しての自立だったが、新たな生活が、更に自分の置かれている立場を絶えず教えていただろう。
 今更ながらにナルトの背負ったものの大きさに立ち竦まされた。
 そしてナルトが、幼いながらも自分の背負ったものに立ち向かおうとしているのを改めて知らされた。
「文句言う奴ら皆なぶっ飛ばしたいけど、もうイルカ先生がぶっ飛ばしてるし!」
ニシシと普段の悪戯っ子全開の笑みを見せる。
「だからてっとり早くみんなに俺が強いって分からせるために、火影になるってばよ!」
イルカの数歩先を歩いていたナルトはぴょんと跳ね、くるりとイルカに向き直った。
「中忍試験合格して、火影になって、そんでイルカ先生に楽させてやるってば!」
「お前‥‥」
そう言って笑うナルトを、強くなったとイルカは思った。
 ミズキの巻き物強奪の一件でも分かっていたはずだったが、ナルトはもうイルカに庇護されるだけの存在ではないのだ。
 周囲の風を直接受けても尚、前を向く強さがナルトに備わっている。
 相変わらず言葉は足りないが、ナルトの気持ちは十分すぎる程イルカに伝わった。
「ナルト! 期待してるぞ」
「あったりまえよー!」
イルカとナルトはお互いの拳をコツンと軽くぶつけた。
術が一つ出来たといってはイルカと拳をぶつけるのが、アカデミー生の時のナルトのお気に入りだった。
「でも俺が生きてるうちに火影になってくれよー」
イルカが憎まれ口を叩くと、
「失礼だってば! イルカ先生は三食昼寝付きにしてやろうと思ったのに」
ナルトがブーとふくれた。
 前を歩くナルトの背中が、また少し大きく見えた。


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