15 渦
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闇を縫うように走る。
満月の白い光が冴えざえと森を照らし、くっきりと濃い影を地に落とす。 その木立の中を闇よりもなお暗い者達が蠢いている。 今日の闇は何時に増して濃いとカカシは思った。いつもは同化出来るはずの闇が、少しその質量を増している気がする。 ‥‥‥疲れてんのかネェ。 身体はまだまだ思う通りに動くが、今日は気力がついていかない。 今回の任務のツーマンセルの相手の女の様子を伺い「少し休むか」と誘うとあちらも同意した。 見晴しのいい大木を選び、はり出した大きな枝に互いの死角を補うように座る。取り出した水筒の中身がチャプンと跳ねる音に、カカシは咽の乾きを覚え水を流し込んだ。ふぅと知らずため息を漏らす。 「時間が押してたから、少し疲れたわね」 女の密やかな声がカカシの耳に届いた。 「ああ」 今度は意識的に息を吐き出す。 「やっぱり、なまっちゃってるのかネェ。最近お守の任務ばっかりだったし」 それに女は「今は上忍師やってるんだったわね」と話を継いだ。 「そ。アカデミー卒業したてのヒヨコをネ」 カカシは下忍七班の面々を思い出した。自然と口元が笑みを象るのを感じ、自分が思った以上にあの下忍達を好いているのを知る。存外それは悪い気分ではなかった。 その気配を感じたのか「でも楽しそうね」と女が言う。 「それがさ、思ったより大変。子供なんて何しでかすか分かんないし‥‥アカデミーの先生なんてよくやれるよネー」 言った途端にカカシの脳裏にイルカの顔が浮かんだ。 アカデミーといえばイルカという具合に、今やこの二つはカカシの中で直結している。自分の部下にあたる金色の子供からその名を煩い程刷り込まれた所為もあるが、カカシ自身が「優秀過ぎる」を理由にさほどアカデミーに在籍していなかったのも大きい。 ふと、自分を睨み付けるイルカの瞳を思い出した。 あの時。力量の差を分って尚挑戦的な彼の態度は面白くすらあった。変わった種類の人間だとは思うが、監視でもなくナルトに関わろうとする彼の考え方自体が普通ではない。カカシを相手に畏縮しないところは買ってやってもいいなと改めて思う。懸命なイルカの顔を思い出したカカシは思わず笑いそうになった。 「アカデミー‥‥か」 だが女の呟きがカカシの思い出し笑いを止めさせた。 「何? 子供でもアカデミーにいるの?」軽い調子で尋ねたカカシに、 「バカ。子供なんていないわ。失礼ね」女は笑った。 「ごめん」 「子どもじゃなくて知ってるコがいるの。教師の方なんだけど」 「ふうん」 「今も教師を続けてるか分からないけど‥‥会わなくなってから随分たつし。‥‥あたし里に帰ってないから」 その言葉に、カカシは数日前から自分が参加しているこの大掛かりな任務が、結構な時間をかけて組み立てられたものであり、このツーマンセルの相手がこれらの任務の一端を束ねているため、長らく里に帰還していないと漏らしていたのを思い出した。 「里が恋しい?」 「まあね。戻りたくないと言ったら嘘になるわ。でも任務の継続を願ったのは自分だし、文句は無いの。それに今さら帰りたいなんて言えた義理じゃないし」 彼女の語尾が小さくなった。 「いやだ。少し湿っぽいわね、この話」 何か事情でもあるのかそれ以上問うのは憚れた。元来他人の詮索はしない質だ。だがカカシにしては珍しくお節介を焼いてみたくなった。 「あのさ、もしその教師‥‥まあ今も居ればか。そいつに言伝あったら預かるヨ。俺サポートで入っただけだからすぐ里に戻る予定だし」 失言のお詫びにさ、と頼まれもしない伝言役を買って出た。 えっ、と女がこちらを振り返ったのが幹越しに見え、そんなに意外な申し出をしたかと逆にカカシも驚いた。 「‥‥お節介だったネ」 こんな事を言い出すのは何の気紛れか。 「ううん、ありがと」女は頭を振る。その顔が僅かに綻んだことにカカシは安堵した。 「まだ休憩いいの?」 「ああ」 「だったら言伝代わりに聞いていいかしら?」 するりと女はカカシの側の枝に移ってきた。 「イルカ‥‥、うみのイルカって名前なの。もしかしたら知ってる?」 「え? イルカ先生?」 カカシも驚いたが、女も同様だったようだ。 「やだ、ホントに知ってるの?」 「ああ。今預かってる子供達の、アカデミーの担任の先生」 「‥‥そう」 女はイルカの名に何かを思い出したかのように瞳を閉じた。任務中の冷ややかな顔しか知らなかったカカシはその変化にしばし戸惑った。瞬間、そこに居るのは腕のいい忍ではなく唯の女だったから。美しい女だとは思っていたが忍の空気を脱ぎ捨てた彼女は、なんと優し気に見えたことか。 眩しい程の満月が彼女を照らし、その変化をまざまざと見せつけたのを、カカシは見てはいけないものを見たような気分で眺め続けた。 「‥‥知り合いってイルカ先生なんだ」 「そう。イルカ、今も教師をしてるのね。‥‥元気でいる?」 元気だったはず、と答えた後その雰囲気の変化にあてられたのか、カカシの口はするりと「付き合ってたの?」と言わなくてもいいはずの言葉を漏らした。女はしばしカカシを見てから「昔ね」と笑う。カカシは、この女とイルカが並んでいるのを思い浮かべた。それが分かったのか、 「やだ、あたしの方が年上とか思ってるんでしょう」と言い当てる。図星だったカカシが困って己の後頭部を掻くと 「まあ、ホントだけど」 クスクスと女が笑い出した。 何か上手い言い訳をと考えあぐねたが、それも面倒になり「いつ頃付き合ってたの?」と強引に話しを変えた。女は「まだこの話し続くの?」と軽くカカシを睨む。 「大分昔よ。まだイルカが教師になる前」 もう時効だしいいわね、と独り言ちた。 「任務で一緒になったの。中忍だったけどあのコ、まだ子供でね。いつの間にか一緒に居るようになったわ」 思い出すようにゆっくり話出した。 「そこそこ長く続いて‥‥でもあたしが長期で里外の任務を受けて、ごたごたしてるうちにイルカもアカデミーの辞令を受けて、それでおしまい」 短く言葉は切られた。 「ふーん。アンタみたいなイイ女と付き合ってたなんて、イルカ先生もやるネ」 「あら、ありがと」 女はあっさり返し、一瞬躊躇する素振りを見せてからカカシに尋ねた。 「ねぇ‥‥イルカはもう結婚してる?」 「え? いや、してないケド」 イルカ情報の発信源であるナルトは一言もそんな事は言ってなかったはずだ。 「そう」 月明かりの下、女の唇の左端にある印象的なホクロが歪んだように見えたのは見間違いだったのか。 「結婚しようが口癖だったのよ、あのコ」 小さな呟きはカカシがやっと聞きとれる程度だった。 だが次の瞬間、女は休憩は終わりとばかりに立ち上がった。既にそこには昔を思い出して笑う優しい女は居らず一人の忍がいた。カカシもそれに倣い立ち上がる。二人の忍は木を蹴ってその場を離れた。 暫しの休息は終わった。 |