14 嵐の前
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下忍七班が波の国から帰投した。
「三代目。イルカです」 三代目の執務室に呼ばれたイルカを待っていたのは、紫煙を吐き出す三代目のお馴染みの姿と、三代目の御前でも背を撓ませたままの下忍七班の上忍師、はたけカカシの姿だった。 それを見れば自分が呼ばれた理由はすぐに見当がつく。波の国での任務で何かあったのか。イルカは不安を覚えながらカカシに軽く頭を下げた。 先刻任務報告所でカカシから報告書を受け取った。任務が長引くのはままある事だし、不審な点も無かったので報告書を受理したのだが、どうもそれだけではなかったようだ。 任務報告書にも記載できないほどの機密事項は「別途報告」と記され直接上層部へ報告が義務づけされているが、そのような記述もなかったのに。 ‥‥‥「別途報告」扱いすら出来ないような事が? いやナルト達は怪我は負ったが全員無事帰ってきているとあった、ならば‥‥。 嫌な予感にイルカは震えた。 「イルカ、既に報告書は読んだそうじゃな」イルカの不安に答えるように三代目が切り出した。 「はい。私が受理しました」 「ならば、おおよその所は分かっておるじゃろう」 波の国への護衛任務。ガトーカンパニーに雇われた霧の里の抜け忍との対峙。長期滞在の理由と各々の負傷、橋の完成、既にCランクを超えAランク級の任務だった事。これ以上一体何がと、イルカが不信気に眉根を寄せると三代目が続けた。 「霧の抜け忍と一戦あったのは知っておろう。その時ナルトを庇ったサスケが倒されたと思ってな、ナルトが暴走しかけた」 「暴走?」 「封印術が解けかけ、九尾のチャクラが漏れたそうじゃ」 「九尾の‥‥」 イルカの語尾が震えた。 ‥‥‥九尾のチャクラ‥‥本当に九尾は封印されていたんだ。 もしかしたら本当は封印など為されていなにのでないかと、ナルト可愛さに随分希望的な事まで考えもしたのだ。本当に人の子に九尾の妖を封印したのだと思うと、保身の為ならば人は何でもするのかと腹の奥がずんと重くなった。そしてナルトに九尾が封印されているのは事実なのだと、かかる衝撃にイルカの顔は微かに青ざめた。 「安心せい。カカシが封印し直す前に自ら収まったようじゃ。チャクラの漏れ出た原因もサスケの事が理由らしいからの。サスケを助けられなかったと思ってのことらしい。‥‥‥自衛本能からかもしれんが」 「ナルトは自分の意志で九尾のチャクラを使ったと」 「いや、そうではないじゃろう。無意識下で封印術が弛んだとしか考えられん」 まだ自分の力に還元できる程ではないだろうがの‥‥。その三代目の呟きはイルカには聞こえなかった。 具体的なナルトの封印術がどのように為されているかなどイルカには知る由もないが、はたけ上忍は封印術が出来るのかと考えるともなしに思う。 「一応お前にも知らせておこうと思ってな」 「‥‥ありがとうございます」 「それだけだ。カカシも、もうよい」 退出の挨拶をして、イルカとカカシは執務室を後にした。既にイルカは、ナルトのことで頭が一杯だった。ただ機械的に足を動かす。 「イルカ先生」 執務室を後にし建物の外に出ようとした所で、それまで横を並んでいたカカシが不意に口を開いた。建物の外は陽射しがきつく照りつけ、その分内部は暗さが増している。外に出ようとしていたイルカは再び薄暗い建物に引き戻された。 「はい?」 「ずっと前に、聞いた事覚えてる?」 果して何の話だろうとイルカが思う間も無く、額宛に覆われていない右目を三日月のように撓ませてカカシはイルカの手首を掴んだ。 「なんで九尾の封印を庇うの?」 え? とイルカは目を瞠いた。 それがナルトに九尾が封印され、あまつさえその封印が弛んだという真実に衝撃を受け、ぼんやりとしていたイルカの意識を覚醒させた。同時に記憶を刺激する妙な既視感。 ‥‥‥この言い方、いつだったか。 あ、とイルカの脳裏に赤い月の晩が甦った。 ‥‥‥あの時の、男。 何度もカカシには会っているのに、いくら暗かったとはいえ不思議とあの時の男とは結び付かなかった。忘れていた記憶と共に、この男につけられ既に消えて久しい手首の痣がふいと浮き出たような気がした。 驚きに、返事も出来ずカカシを凝視するだけのイルカに、 「俺のこと思い出してくれた? 全然気がつかないみたいだったから」 可笑しくて、と口布の下でカカシが嗤ったように見えた。 「それでさ、前も答えてくれなかったから。聞きたかったんだよネ‥‥ねえ、なんでナルトを庇うの?」 九尾じゃなくてこれならイイ? と態とらしく小首を傾げるカカシの姿に、知らずイルカの眉間に皺が寄った。 「ご存じでしょう。‥‥私はアカデミーの教師ですから」 「それで?」 黙り込むイルカに、ふうんとカカシが鼻を鳴らした。 「‥‥大好きなイルカセンセイ」 低いよく響く声で、ひっそりと歌うように呟かれた。 「え?」 「ナルトがアナタを、いつもそう言う」 「‥‥」 「任務中でも、いつでもネ」 まあラーメンとセットだけどと、カカシは今度は声に出して低く笑った。 ‥‥‥俺の名前はラーメンとセットか。定食かよ。 なごむ時ではないのに、ナルトが自分の名を連呼する様子を思い起こしイルカの緊張が少し和らぐ。だがそれも束の間だった。他に意識を泳がせたのを読まれたのか、こちらに注意を向けろといわんばかりに手首を掴んだカカシの力が強くなった。痛みに顔を顰めたイルカは改めてカカシと対峙する羽目なった。 はたけカカシ。下忍七班の上忍師。 任務受付と報告での事務的な挨拶。すれ違えば黙礼程度の接点。最近までビンゴブックでしかお目にかかったことも無い相手だ。 こんな相手に絡まれるなど分が悪すぎるとイルカは焦った。いくらナルトが信頼する上忍師でもそこは別物だ。 「何がおっしゃりたいんですか? はたけ上忍」 「何?」 「質問の意図が分かりかねます」 「いや、意図なんて。そのまんまだけど」 困ったようにカカシは空いている手で後頭部を掻いた。 「アナタの武勇伝、聞いてるんですヨ」 「え?」 「ナルトを庇って大怪我したらしいじゃない。どうして? 俺がアナタを見た時は中々やるなーって思ったんだけど。そんなにミズキってのは強かったの? 買い被りすぎたかな、アンタのこと」 この場の雰囲気を裏切るのんびりと抑揚のない言い様。一見のんびりとしたカカシの口調がイルカを酷く落ち着かなくさせた。 「‥‥私を、からかってらっしゃるんですか」 カカシから逃げ出したい焦燥感から、叫び出したくなる衝動を、イルカは押し殺した。 「いや全然。ただホントに知りたいだけ。興味があるってことですヨ」 返答をしなければ放さないと言わんばかりに、掴まれたままの腕を目の高さまでゆっくり持ち上げられた。 ほとんど背丈が変わらないのか腕を挟んですぐ目の前に相手の顔がある。今更顔を背けも出来ない。だが殺気を出されている訳でもないのに受ける圧迫感に息苦しくなる。これがこの男の力量の為せる業かと嫌でも認識させられる。 「ねぇ、イルカセンセイ」 一転、今度は睦言でも囁くかのようにカカシが声を潜めた。 「なんで庇うの? 監視対象でもないデショ。九尾のチャクラが漏れたって聞いた時あんなに辛そうだったじゃない。あ、監視じゃなくて俺の場合監督って言わないとイケナイんだよネ」 カカシの猫撫で声に神経を逆撫でされる。圧迫感に耐えるのも限界で、もう止めてくれとイルカは懇願しそうになる手前でようやく踏み止まった。 「‥‥はたけ上忍」 「なに?」 「ナルトはナルトです。あれは私の生徒だった。庇うとかなんとかではないんです」 「今の監督役は俺ですヨ。それでも心配?」 カカシという人は、自分以外がナルトに構うのが気に入らないのだろうか。ナルトが慕う彼への印象を悪い方向へと塗り替えられ、彼に幻滅し始めた。そして一方で、こんな言い掛かりをつけてくるような男に負けられないと、イルカは精一杯の虚勢を張った。 「そういう意味ではありません」 イルカは声に力を込めようとしたが、視線を逸らさずにいるのが精一杯。 「心配など。ただ個人的にナルトを気に掛けているだけです。私なりにナルトに接していきますが、はたけ上忍にご迷惑はおかけしません」 言うなりカカシの手を力の限りに払った。 だがイルカの虚勢もこれが限度だった。これ以上この場に留まれば、どんな醜態を晒しても解放してくれと懇願してしまいそうだった。 「これで失礼します」 イルカは一方的に話を打ち切り、一礼して背を向けた。 強く掴まれ痺れ始めた手首を庇う自分が、逃げるように見えなければいいと願いながら。 そのまっすぐに伸びた背中を見送っていたカカシは、ふうんと鼻を鳴らした。 「変わった人だよネ〜」 イルカへの評価を簡単に下す。 三代目が波の国での一件をわざわざイルカにも伝えると言い出した時は、いくらナルトの元担任とはいえ一介のアカデミー教師に何をそこまでと訝しんた。だが巻き物の件といい今のやり取りといい、イルカの役割にもこれである程度納得がいく。 相手がカカシと知って尚あの態度。あんな人間だからナルトの側に立とうなどと思ったのか。さすがナルトの為に喧嘩を買う男だ。 「面白いネ、イルカセンセイ」 カカシはガシガシと後頭部をかき乱し「また遅刻しちゃった」と独り言をいいながら下忍七班との集合場所に向かうべく建物を出た。 密やかな緊張を孕んだ先程の空気とは裏腹に、外は眩しいほどの陽光に満ちていた。 一瞬、目が眩む。 「なんだか眩しいネェ」 カカシは目を眇めた。 |