09 風向
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小さく旋回する風は、風雲を呼び寄せた。
果たして、放課後教室に行くとナルトは大人しく待っていた。その姿にイルカは少しほっとした。 「ナルト」 「‥‥イルカセンセイ」 本当にイルカが来るのかとナルトも不安だったのだろうか。入り口から声をかけると、ナルトは弾かれたように顔をあげた。 それからイルカとナルトの居残り授業が始まった。 ナルトにものを教えるのは想像以上に困難だった。 まず基礎となるものが何もない。 術式も印も殆ど理解していないに等しく、忍文字も印の組み方も一から教え直した。体力はあっても体術は駄目。チャクラの練り方に至っては‥‥もう何も言うまい。 だが遅々とはしているが、ちゃんと成長しているところを見せられると、やっぱり張り合いがあるものだと、イルカは自分を慰めながら居残り授業を続けた。 ナルトと放課後に時間を持つようになってから、ナルトの普段の生活が垣間見えてくる。 火影屋敷に囲われるように暮らす今も、ナルトに用事以外で声をかけるのはどうやら三代目だけらしい。ナルトを知る程にいかに彼の日々が過酷なのかを知らされる。衣食住が足りているだけでは人は人として育ち得ない。 火影屋敷とアカデミーの二点を往復するナルト。彼の世界は狭い。その狭い世界で多かれ少なかれ悪意をもって扱われる。そんな状況だからこそ折角芽生えたナルトの「強くなりたい」という意欲を壊さないようにしてやりたかった。 幸い教師達はイルカとナルトの課外教授を黙認してくれている。さすが一年以上無風状態を維持してきた人達だけはあると、イルカは自分の唇が皮肉げに曲がるのを禁じ得ない。だが以前は自分もその仲間だったと思えば文句を言うのもお門違いだ。 ミズキには、よくやると呆れられた。 何かあったら三代目に訴えてやると構えてみたが大事無く日々は過ぎた。 そんな日々に気が弛んだ矢先の、突然の嵐。 「それ、本当ですか」 イルカは自分の声が、感情的に震え出しそうになるのを押さえつけた。 「ああ。保護者から生徒一人に優先的に時間を割くのはどうかと」 同じ学年担当で主任を勤める先輩教師の重い声が職員室に響く。 温厚でさばけた人為の彼は忍として有能で、教師としての人気も高い。自分より一回り以上年嵩なこの人をイルカも慕っていた。その彼から切り出されたナルトとの課外授業へのクレームに、イルカは正直驚きを禁じ得なかった。 「で、ナルトに個人的に教えるのを止めろと」 「普通のカリキュラム内だけで十分ではないかという事だ」 「その保護者って何方ですか? 教えて下さい」 どこをどう巡ってイルカの課外授業が保護者に知られたのやら。イルカは職員室に怒鳴り込みそうな煩さ型の面々を、思い付くままに脳裏に甦らせた。まさか保護者だなどという意表をつく横槍が入ろうとは。 「それを知ってどうする」 「自分から説明します」 「一人二人の意見ではない」 「アイツは‥‥ナルトはただでさえ他の生徒から遅れてます。これじゃまた落第です」 「進級させるばかりがいい事ではないさ」 「それじゃアイツはずっとこのままなんです。なんでそんなに保護者を気にするんですか」 「‥‥ここ数年は名家の血筋が多いだろう」 確かに名を聞けば誰もが知っている、木の葉でも有名な一族の生徒がわらわらといる。 「そこからの圧力とでも?」 「そうではない」 「ではこちらも三代目の名前を出して下さい。三代目がナルトの入学を認めたんですから。それに」 「イルカ先生」 主任教師の強い声にイルカの弁は遮られた。 「イルカ先生。他の父兄だけではない‥‥我々の中にも苦々しく思っている人間もいるんだ」 それにハッとしたイルカは主任教師の顔を見返した。 「本気で言ってんですか、それ」 その筆頭が貴方ですかと、言ったら最後の言葉をイルカはかろうじて飲み込んだ。 イルカ達の睨み合いを他の教師達も先刻から遠巻きに見守っている。主任教師が話を切り出した時は人影もまばらだった放課後の職員室は、イルカ達が入り口横の応接スペースで膠着状態のに陥っている内に満員御礼になっていた。何事かと聞き耳を立てる皆に既に内容は筒抜けだったが、だからと言って目立っていい内容でもない。それでも初めは遠慮がちな声量だったが、埒の空かない水掛け論に苛立つにつれ声が大きくなる。 延々と続く平行線に焦れた主任教師はイルカに言い放った。 「イルカ先生。前から思ってたけど、‥‥アンタ甘いよ」 「甘い?」 イルカの声が険しくなる。 「アレを甘やかして、一人前に育ててどうする。‥‥尤も、一人前になるどうかも怪しいがな」 「アレってなんですかっ! アイツには名前がちゃんとあります!」 「俺は生徒とは認めない‥‥アレは‥‥」 絞り出すように主任教師言った。 「九尾だ‥‥!」 「! それを言いますか!」 イルカは堪らず怒鳴り声をあげた。皆の視線を集めてしまったが、構ってなどいられない。同時にイルカの怒鳴り声は主任教師の堪忍袋の緒も切ってしまったらしい。彼も声を荒げた。 「そうだ。認めない!」 「なんだと‥‥!」 「俺は‥‥俺はアレのせいでいろいろ亡くした。一緒に九尾に立ち向かった仲間や、あの方も‥‥‥関わる必要など無い!」 彼は年齢からいってあの災厄の日には既に忍として里に貢献していたのだろうか。 九尾の残した傷跡はこんなにも深い。イルカだとて同様だ。だが拳を握る彼には悪いがもう繰り言は御免だとイルカ思った。 イルカはひと呼吸おいてから、聞き耳の必要など少しも必要のない大声で、この場の全員に宣言するように言った。 「俺はアイツに構いますよ。ナルトは俺の生徒だ。文句あるかっ!」 ガラッ! 大声を張り上げた途端、入り口の戸が壊れんばかりの勢いで開き、仁王立ちのイルカの前に黄色い固まりが飛び込んできた。 そして悲鳴のような甲高い子供の声。 「イルカセンセーをいじめるなー!!」 そこには泣き出しそうな顔をして、それでもふるふると拳を固めて足を踏ん張ったナルトがいた。 |