08  風向

 風を遮る。



 ナルトに触れるのは初めてだった。
 虫達の輪唱が一段と大きくなる中、ナルトの歩調にあわせてゆっくりと歩く。
 繋いた手にナルトは居心地が悪そうだったが、イルカはそれを気にせず繋き続けた。ナルトから握り返されはしないが振り解かれもしないことに安堵を覚える。
 慰霊祭後のアカデミーで、ナルトの顔を正視出来るか否かなどという悩みは今や遥か彼方だった。
「ナルト、大丈夫か」
そろそろ落ち着いた頃かとナルトをうかがいつつ尋ねると、「うん」と小さな返事があった。
「なんでこんな時間に外にいたんだ?」
「‥‥‥」
叱られるとでも思ったのか、小さく肩を揺らしただけでナルトは答えない。ただイルカに預けられた手にキュッと力がこもる。もっと上手い聞き方はないものかと舌打ちしたくなったが、まだまだ子供の扱い慣れぬ自分を思い知らされる。
「あー‥‥っと、怖くなかったか?」
「こわくなんか‥‥」
「‥‥そうか」
ナルトの手が震え、余りにか細い腕と小さな手にイルカは何故か悲しくなってきた。
「‥‥イルカセンセイ」
「ん?」
イルカが思わず聞き返すとナルトは俯いたまま。それでもチラチラと視線を寄越すので、何か言いたそうにしているのが分ったイルカは、ナルトから話し出すのを辛抱強く待った。ナルトは何度も言い淀み、つっかえつっかえではあったが、それでもボソボソと言葉を繋いだ。
「イルカセンセイ‥‥が、こわかった」
「俺、怖かったか?」
「‥‥うん、こわくて、‥‥つよかったってば」
「そうか」
「つよくなれば、もうこわくなくなるのかな‥‥」
「うん?」
「まえも、あった、こんなこと‥‥」
「‥‥‥」
「こわいのは、もう、やだってば」
その言葉にイルカは打ちのめされた。
 ナルトは自分を取り囲むこの状況をどう感じてきたのだろうか。
 ナルトは九尾の封印の為の器だと聞かされている。あくまで封印の器なのだと。それは九尾と同義では無いということではないか。
 ナルト自身は己が封印の器であるとは知らないと聞かされている。ナルトが望んでそうなったのではないのならば、ナルトにその責を求めるかのような振舞いは許されるのだろうか。
 自身の預かり知らぬ処で背負わされた業を、ナルトは背負い続けていくのか?
 此処で初めて、イルカの中にはっきりとした疑問が生じた。
 自分を含めた里の人間は、九尾の災厄の記憶と封印の器であるナルトを怖れ、それが高じて忌み嫌っている。そしてそれを当然だと思ってきた。だがナルトも、悪意をもって接する自分達を怖がっている。堂々巡りで怯えているだけなのではないのか‥‥?
 イルカはナルトの周辺について考えはしたが、ナルト自身については何も知らないことに思い当たった。ナルトを一個の人間として扱ってすらこなかったのだと思い知らされた。
「‥‥そうだな。嫌だな、怖いことは。‥‥ナルト‥‥辛かったな」
思わずイルカは繋いだ手に力を込めた。強く手を握っていないと、イルカの手が震えてしまいそうだったからだ。
 ナルトはそんなイルカをどこか不思議そうに見上げた。
「イルカセンセイ‥‥」
「なんだ?」
「つよくなれって、いったってば」
「え?」
「つよくなれって、火影のじーちゃんが」
ナルトが繋いだ手に力を込めたのがイルカには分った。
「つよく、なりたいってば」
初めてナルトの声がハッキリと聞こえた。
「おれは木の葉の子だから、つよくなれるって」
「そうか‥‥ナルトは強くなりたいのか」
「うん‥‥」
ナルトのどこか必死な顔つきに、イルカは妙な既視感を覚えた。
「強く‥‥」
一緒にそう呟いたイルカは、ただ強くなりたいと願った両親を亡くしたあの頃の自分を思い出した。
 強くなりたい、強くなりたい‥‥寂しいから、寂しくないように。「強くなる」はイルカの、自分自身を奮い立たせるための呪文だった。
 ナルトが何を思って「つよくなりない」と言ったのか本当のところは分からない。先程のような怖い思いをしたくないからなのか。それとも強い忍になりたいのか。悪意を持って斜に見れば、自分に辛くあたる里への復讐とも考えられる。だがこの里にいる限り、否、ナルトがナルトである限り忍以外の選択肢が無く、これしか生き方が選べないのだとしたら‥‥。
 初めて見た時同様ナルトは余りに小さい。イルカに手を引かれて歩くただの子供だ。その子供がどれだけの思いで「つよくなりたい」と願ったのか。もしも泣く事しか出来なかったあの頃の自分とナルトが同じならば‥‥。
 堪らない、と何かが腹の奥底から込み上げた。
「ナルト!」
イルカは立ち止まり前を向いたまま大きくナルトを呼んだ。急な大声にナルトはビクリとしてイルカを見上げた。イルカは驚くナルトの前に回りしゃがみ込み、今だ細い両腕を己の掌で包んだ。
「ナルト。強くなろーぜ」
「え?」
「お前強くなりたいんだろ」
「あ‥‥うん」
「だったら強くなろうぜ」
「おれが?」
「そうだよ。誰より一番」
「でも火影様はがいちばんつよいってば」
「だからもっーと強くなるんだよ。上忍だって、火影様だって超えるんだ」
「火影のじーちゃんより、つよい?」
「そう! 一番強くなるんだ。そしたら、えーと、ナルトは次の火影だ!」
「火影‥‥」
大袈裟にイルカは頷いてみせた。ついでに泣き笑いの妙な顔になったのはご愛嬌だ。
「俺が教えてやるよ、強くなる方法。なんたって教師だからな」
ナルトは信じられないものを見たかのように目を丸くした。
「お前明後日から居残りな。放課後教室でそのまま残ってろ。勉強するぞ」
イルカの勢いに押されたナルトは、コクコクと頷いた。だが同様にイルカも驚いていた。
 お前は甘い。一時の同情に引き摺られて九尾の封印に関わってどうする。ナルトの孤独と自分の子供の頃感じた孤独を重ねあわせて、何を半端に同情しているのだと冷静な自分が叫ぶ。
 それでも今しがた芽生えたばかりのナルトへの気持ちを優先させたいと、鳴り響く警鐘に耳を塞いだ。

‥‥九尾が腹に封印されていようが、ナルトは俺の生徒だ。

理不尽な毎日の中、それでも強くなりたいと願ったナルトに向かい合ってやりたい。
 ナルトに対するわだかまりが消えた訳でもなく、彼の体の中に九尾が封印されているらしい事も忘れられる筈がない。なのに慰霊碑の前でこっそりと泣く昔の自分と、悪意に立ち竦むナルトを一度重ねてしまえば、もう放っておけなかった。
「勉強、大変だからって泣くなよー」
 ニシシッと笑ってやると、ナルトは小さな声で「オウ」と応えた。
 イルカは自分の気持ちが少しでも届くようにと手に力を込めた。
 何ヶ月もモヤモヤと出口の見つからない感情の鉾先をどこに向けるべきだったのか、少し分かったような気がした。
 だがいつか、この選択を恨む日がくるのだろうかと、イルカは心の片隅で思った。


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