06 風向
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汗が滲む。
ナルトは今日も窓際の一番前の席に、ぽつりと大人しく座っている。 「この間の呪札のテスト返すぞー」 言い終わらぬうちにギャーギャーと騒がしい声が重なった。 新入生という名のヒヨコ達はピヨピヨと今日も元気で、こちらが何を言っても大袈裟に反応する。子供らしいといえば、子供らしいのだが、これが一人前の忍に育つのか少々不安を覚える始末。だが自分もかつてはこの群れの一員だったと思えば文句も引っ込む。誰しもが出発点は同じなのだと思い知らされた。 「名前呼んだら前まで取りに来いよー」 生徒達は憎まれ口を叩きながらも教壇に駆け寄って来る。マルとバツのついた賑やかな答案に一喜一憂する姿はまだまだ可愛いものだ。 イルカは「もっと注意して読め」とか「よく出来たなー」などと声をかけながら、答案用紙を次々と返していった。だが答案用紙を捌いていたイルカの指が一瞬止まった。 「‥‥うずまきナルト」 のろのろとナルトが立ち上がり、こちらに向かって来た。 イルカの半分にも満たない身長で上目遣いにこちらをを睨み付け、一言も口を開かず答案用紙をひったくるようにして席に戻っていく。イルカはそれを横目で追った。 反抗的といっても過言では無い態度だが、それも常の事だ。 だがもっと問題なのは答案の中身。用紙はまたも真っ白だった。いや本来白いはずの答案用紙の裏にぐちゃぐちゃと落書きがされているのだがこれは一体? アカデミーもニ年目だろうにと、当初はイルカも我が目を疑い、テストを作った自分に対する挑戦かと疑ったものだった。ところが先輩の教師に相談してみると「ああそれか。いつもだけど」と素っ気無い返事が返ってきたので逆にイルカは驚いた。 「いつも?」 「そ、いつも。名前書くようになっただけ進歩だな」 忍の才能どころか普通の勉強すら危ういんじゃないかと先輩の言葉が続く。 ナルトの白い答案を見て、イルカは溜め息をついた。 だがこれはほんの序の口だった。 ナルトはアカデミーで何一つ習得出来ておらず、授業もどこまで理解しているのかまったくもって怪しい。体術や術の発動は出来る出来ない以前の問題だ。 理由は明白。 ナルトは周りと喧嘩腰。教師側は手を出したく無いのが半分、何も出来ないナルトに振り回されるのを嫌がるのが半分。 アカデミーに居るのを許しているのだからもう十分だろう、面倒を起こしてくれるな。そんな気持ちが見え隠れする。時折ナルトが起こす癇癪や乱暴な行為も「‥‥またか」程度で見過されていた。現状維持の当たらず触らずで一年余りを過ごしたらしい。 だが他人を責められはしないとイルカは思った。 自分もその一人だからだ。 木の葉に住む者なら皆、程度の差はあれども九尾の災厄による喪失を抱えている。 だから現状を維持するアカデミー教師に文句をいう気にもなれなず、寧ろ良くやっているとさえ思った。イルカとてナルトに対して取るべき態度が決しきれていないのだから、他人を兎や角言えやしない。あの災厄から十二年間抱いてきた喪失感が根底から消える訳ではない。だからナルトに対する周囲の反応も仕方が無いと思ったし、そう思おうとした。 だがいつの頃からかそれに齟齬が生じた。 目の前にいるナルトは、九尾のような恐るべき存在とは到底思えなかった。人に害を加えるとも思えない。ましてや九尾の姿をしている訳でもない。ただじっと反抗的な瞳でこちらを睨み付けるだけの出来の悪い子供にしか見えなかった。‥‥そこが、酷くひっかかる。 裏腹な頭と気持ちで、イルカは現状を持て余していた。 「忍者ごっこやるぞー」 放課後イルカがアカデミーの渡り廊下を抜けようとしていると、生徒達の甲高い声が聞こえた。どうやら年少組が中庭で騒いでいるらしい。 アカデミーに通いながら忍者ごっことは熱心な事だと思いながら、同様に自分も子供の頃によくやっていた遊びなのでつい足を止めた。どうやら組み分けの関係で人数が足りないらしい。まさか自分が混ざる訳にもいかないのでイルカは成り行きを見守っていた。 「アイツでいいんじゃないの」 その時、離れた場所で一人座っていたナルトを名指しする声が聞こえた。それはナルトにも聞こえたのか、ピクリと反応したのをイルカは見逃さなかった。 「あいつ!?」 「だって足りないし」 今度はナルトを仲間に入れる入れないで揉め出した。すると、 「ダメだよ、父ちゃんからアイツと遊ぶなって言われてるもん!」 その一言が嫌にハッキリと聞こえた。 「あーウチもー」 「オレんちもー」 それに追随する子供達の声。ナルトに向けられたそれにイルカは知らず拳を握っていた。 十二年前の惨劇を知らない子供達は、周りの雰囲気や言動をそのままナルトにぶつけているに過ぎない。子供は子供で大人の醸し出す空気に敏感に反応して身を処している。果してアカデミーで浮き上がるのはナルト一人の責任か? 何故自分はこのような葛藤を覚えるのか? 「ナルトだろ、アイツはダメだよ!」 その声に押されるように、ナルトが年少組みの集団とは反対の方向へ走り出した。つられてイルカもその後を追いかけていた。 いくらもしないうちにイルカは簡単にナルトの前に周り込めた。突如眼前に現れたイルカに、驚き慌てて立ち止まったナルトの空色の瞳が、涙をたたえているように見えた。 「‥‥ナルト」 だからイルカは思わず手を伸ばした。 パシッ! ナルトはキッとイルカを睨み付け、手を振払った。 あたらず触らず腫れ物に触るかのようにナルトを扱い、持て余しているイルカの、半端な同情を拒絶するかのように。 それからイルカの手を掻い潜るようにして、ナルトは横をすり抜けて走り去った。 ナルトに伸ばした手は、そのまま行く先を無くした。 「イルカ。飯食いに行かねー?」 本日の業務も終了し、イルカが職員室で伸びをしていると、ミズキが夕飯の誘いをかけてきた。 「行く行く。給料日前だけどな」 イルカはすっかり報酬制から給料制に慣れてしまった。 アカデミーは勤務の者は能力も高く忍としての評価も高い。だがそこは内勤なので評価の割に給料は決して高くない。里の最終的な防衛ラインの一翼を担ってはいるが、さすがに外勤の者より負傷等の事故にあう確立が低いだろうというのもその理由の一端だ。付け加えるに年輩者には三代目の制度改革以前の、第一線を引いた忍が勤める場所としての認識がまだ高く、故にアカデミー勤務の教師の給料が今だ低いという理由もあるらしい。実際外勤として一線を引いて尚、その能力等の高さ故に教師へと請われる忍も多い。だが逆に、教師を次の階級への足掛かりと考えるのが昨今の風潮なのだが。 「どこ行く?」 「いつもんトコでいいんじゃねーの?」 「だな」 この二人では気取る必要も無いので、早い安いが売りの昼は定食屋、夜は居酒屋へと早変わりする店へ直行した。既に八分の入りの店内は騒がしい。だがその喧噪も馴染みのもので、一日の終わりらしく気の弛んだ居心地の良さがある。 カウンターに並んで腰掛けると考えるまでもなく「生二つ」と声をかける。例え給料日前で財布の中身が厳しかろうが、この一杯は譲れない。 素早く突き出しとおしぼりが並んだ早業に「もしかして店員は忍あがりか」とイルカがくだらない事を考えている横で、ミズキが「揚げ出しと枝豆。あと定食二つ」と大声を張り上げた。優男然とした風貌に見事なまでに親父臭いメニューの取り合わせが笑いを誘う。 「なに笑ってんだよ」 ミズキが枝豆を口に弾いているが、これも何時の間に出されたのやら。 「ミズキ先生、女の子いないとオッサン丸出し」 「俺のどこがオッサンだ。‥‥そういえばお前この間の子どうした?」 女の子といえば、とミズキは思い出したように言った。この間とはアカデミー教師陣と医療班の女性陣との飲み会の事だ。 「あの子どうした? 俺、好のみだったのになぁ」 「そうなのか?」 言葉を濁していると「おまち」と揚げ出し豆腐が出てきた。 「まーあれだ、付き合っちまおうかなー、なんて」 なんといっても木の葉病院勤務の医療班だし、とイルカは揚げ出し豆腐を引き寄せた。 「手ぇ早。でもお前年上のがいいんじゃないの? あの子年下だろ」 「絶対年上がいいって訳じゃねえよ」 それにミズキは、あ〜あと大袈裟に嘆いた。 「イルカちゃんたら昔は女の子に間違われるくらいカワイイ子だったのに。このタラシ」 余程自分の方が似合いそうな言葉を吐き捨て、ミズキはわざとらしく顔を顰めてみせた。イルカの場合ただ単に頭頂で結んだ髪が今よりも長くて、女の子のようだっただけの事だ。 ミズキとの気楽な会話に、放課後のナルトの一件で感じた腹に重く溜まるような気持ちが、楽になっていくのを感じる。 ミズキはイルカと一緒にアカデミーの新人教員として配属された。 アカデミーで同期の間柄だったが、これまで特段親しい親交があった訳では無い。だが同じ新人教員として務め出してからは、四六時中といっても過言では無い程行動を共にしている。 基本的にアカデミーは外への任務が無く、固定された人間関係が出来上がる。任務毎に要員が入れ替わるのに慣れた身には、変らぬ顔触れが息苦しい時もあった。そんな中、変な気を遣わず愚痴も文句も言いたい放題言い合える人間がいるのは有り難い。それは卒の無い笑顔でアカデミー内を泳いでいるミズキも同様らしい。彼はイルカと二人きりになるとかなりの毒舌家だ。 ミズキに今日の一件を話してみようかとイルカは思ったが、とうとう終いまでミズキにこの話を持ち出す事は出来無かった。 ひっそりと湖面に投げ込まれた小石のように、イルカの胸の奥底に今日のナルトの涙が沈んで行った。 |