01 赤光
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天には、赤い月。
追い立てられる。 「このっ! ‥‥やっぱりお前は狐に憑かれてんだよっ!」 悲鳴混じりの声とともに暗い路地の影から飛び出した男の身体が、耳障りな音をあげて土塀を擦った。 街頭の朧げな灯りが、地面に伏した男の下に濃い影を作る。 腹を蹴られたのか、そこを庇いながら低い呻き声を漏らす男に近寄る人影があった。 「取り憑かれたねぇ‥‥。アンタ達、ホント上手いこと言うよ」 人影は誰に聞かせるでもなくそう言うと、自分が蹴り飛ばした男を見下ろした。嘲笑を含んだ声が男の呻きに重なる。 その人影に対して、地に尻を付いた男は己の不利を十分に知りながらも威嚇の声を上げた。 「あいつは九尾だっ! お前には分からないのかっ!?」 「分かるか莫迦。アイツは九尾じゃない。ナルトだ」 人影は吐き捨てるようにそう言い放つと、自分が蹴り飛ばした男との間合いを無造作にぐいと詰めた。それに男は己の肝がぎゅっと縮むのを感じた。 自分を追い詰める相手は、普段温厚と評され諍いを避ける人間だと専らの噂だった。実際アカデミーで生徒と戯れる姿を見た時は御し易い相手と踏んだ。だが、甘い筈の中忍に二人掛かりの襲撃を凌がれ、返り打ちにあうとは計算外だった。 この諍いの敗者と確定し、自分の目算が外れた事に歯噛みした男に、恩情の欠片も見せない件のアカデミー教師は恫喝するように叫んだ。 「もう一回言ってやるよ! ナルトはナルトなんだよっ!」 ‥‥あ〜あ、ヤダネェ。 少し離れた電柱の上からこの騒ぎを見下ろしていたカカシは、面倒な場面に行き会ったと思った。 里外から密書を携えて戻る途中、カカシはこの諍いに行き会った。といっても平時は禁止されている屋根伝いを近道とばかりに走っている時に偶然見つけたのだ。 木の葉の里は全体に暗く、繁華街以外はポツポツとまばらな灯りが灯る程度。それに今夜の月はぼんやりと気味の悪い赤い光を鈍く放つだけ。言い争う声が聞こえなければ気付きもしなかっただろう。喧嘩だろうとやり過ごそうとしたが、その二人が額宛をしているのが気になり歩みを止めたのだ。 忍同士の私闘は御法度。ただの喧嘩沙汰では収まらず最悪の結果に繋がってしまう事も簡単に考えられ、周囲への影響も小さくは無い。だが逆に中忍以上の階級に属すならば立ち場も弁えているだろうと、しばし思案した後にカカシは結論付けた。こちらは任務報告所へ向かう途中の先を急ぐ身、それに揉め事に首を突っ込む質でもない。 ‥‥見なかったことにしよう。早く帰って寝たいし。 下手に関わる義理は無いとこの場を立ち去ろうとしたが、その時聞こえてきた聞き捨てならない名称に、また足留めをかけられた。 ナルト。九尾。屋外で話すには些か不穏当な発言の数々。 「あんな大声で」 ナルトだ九尾だの単語から、この騒ぎの原因が「あの」九尾の器であるのが知れる。 一般的には眠りが深くなる時間でも同業者にとっては稼ぎ時。いつ何時誰が通りかかるとも分からないのに、大声で九尾だナルトだとはいただけない。 それと気になることがもう一つ。 この諍いには、どうやら九尾の器を擁護する側がいるらしい。 そんな奇特な人間がいるとは正直驚いた。しかも今回はそちら側が優勢らしい。地面に尻餅をついている男以外にも、もう一人離れた場で転がされている人間がいるが、この状況から擁護側ではないだろう。 珍しい光景に、カカシはそのまま俄観戦者を決め込んだ。 「封印を破って出てきたらどうする!」 敗者となった男の最後の足掻きが響く。それにフンと鼻を鳴らし憤怒の表情で見下ろしていた九尾の器を庇う奇特な男は、急に素晴らしい事を思い付いたと言わんばかりに皮肉気に嗤笑した。 「九尾が出てきたなんて時は、アンタの腹に封印してもらおうか」 嘲るように言い募る。 「そんなコトになったらアンタどうする。里の為に九尾諸共自決でもするか? 英雄になれるぜ」 小馬鹿にした声色と挑発的なせせら笑いが闇に響いた。 ところが一転。 「英雄になれよ」 低く言い放ち、地面に座り込んでいた男の胸ぐらを掴み上げて殴りつけた。渾身の力だったのだろう。鈍い嫌な音と共に地面に叩きつけられた男が呻いて仰け反った。体重の乗った小気味いい殴りっぷりに、カカシは殴られた男に替わって「イタッ」と呟いて顔を顰めた。だが暢気に眺めていられるのも其処までだった。 「このまま放っといてもいいんだけどネ〜。そうもいかないデショ」 九尾を庇う、その奇特な考えの持ち主に興味も湧いた。 その場に割って入る事に決めたカカシは、男達の元へと跳躍した。 「そこらへんにしときなさいヨ」 地面に叩き付けた相手に、また手を伸ばそうとする男の背後へ飛び降り、カカシはその手首を掴んで捻りあげた。 カカシに動きを阻まれた九尾の器を擁護する男はビクリと振り向き、乱入者であるカカシを睨み付けた。あまり背丈が変わらないのか、すぐに視線が絡んだ。 街灯の下、男の鼻梁を真横に横切る傷にカカシは気付いた。 その男は思わぬ第三者の乱入に驚き、警戒心も露に探るような視線を投げつけてきた。カカシに向けられた殺気は一瞬であっさりと消えたが、興奮の為か眦がきつい。 それでも簡単に背後をとられ、あまつさえ手首を捻りあげられた事態に、相手が僅かに動揺したのをカカシは見逃さなかった。 「ここは里の中デショ。忍同士の喧嘩は御法度」 掴んだ手首にもう一度力を込めて軽い口調でカカシは男を諌めた。すると 「アンタこいつらの仲間か」 今度は凄い剣幕でカカシに噛み付いてきた。 「違いますヨ。唯の通りすがり。あんまり騒がしいんで見に来たんです」 カカシがそう告げても男は納得したようではなかったが、それでも渋々矛を納めた。 「揉め事?」 問い質すカカシに 「酔っぱらい同士の、ただの喧嘩です」 少々上がった息で男が応えた。ニィと肉厚な唇の端がめくれ上がり獰猛な笑みが浮かぶ。 ‥‥酔ってもないくせによく言うネェ。 この状態で笑ってみせるとは気丈だが冷静ではないのは一目瞭然。それを教えてやるべくカカシは顎をしゃっくてみせた。 「でもアンタやりすぎ。ノビちゃってるヨ、アイツ」 「あ‥‥」 諍いの相手は先程の一撃で気絶したらしい。男は漸く、再び殴りつけた相手が気を失っていると気付いたようだ。そんな事も分からない程興奮していたのかとカカシは独りごちる。 「はっ! ノビてら」 莫迦にしたように吐き捨てた男も、だが無傷ではないらしい。 高い位置で結ばれていたらしい髪は乱れ、髪の束が顔の前に幾筋も落ちているし、顔もベストも所々汚れている。結構派手に暴れたのかとカカシは男を上から下まで眺め回した。 「ご忠告痛みいります」 男はカカシの不躾な視線を気に留めず、何か文句でもあるのかと言わんばかりの態度で、裏腹な言葉を口にした。 「い〜え、それほどでも」 「では手を離して戴けませんか?」 男の力量ではカカシの拘束から逃れることは出来ないようだ。それを十分承知した上でカカシは言った。 「じゃあね、教えてくれたら離しますヨ」 「?」 「なんで九尾の器を庇うの?」 「‥‥聞いてたんですか」 「あんな大声出してたら嫌でも聞こえますヨ。で、なんで?」 「‥‥そんなのアンタに関係ないだろう」 「聞いてんのはこっち」 激昂する男に主導権はこちら側にあると知らせるべく、カカシは掴んだ手に更に力を加えた。 「‥‥ッ」 それに男は小さく呻き、眉根を寄せた。 ‥‥この状況で力の差も分かってるだろうに。強気だねぇ。 面白い男もいるものだ。そう思いカカシはうっそりと笑ったが、それを嘲りととったのか、男はカカシを射殺さんばかりに睨み付けてきた。 自分よりも実力が上と分かりきった相手にも、戦闘意欲を失わないのだけは十分に合格点だなと思う。だが真正面からぶつかっていくばかりでは、忍としてはどうだろうか。 「アンタ変わってるネ」 「‥‥‥」 男はそれに答えず、またきつくカカシを睨み付けてきた。 「ま、いいですヨ」 もう少しこの男を構うのも面白いし、九尾を庇う理由も知りたい。だが押し問答も面倒だし、何より任務終了の報告に行く途中で余り遊んでいる時間が無い。 手を離してやると、男はすぐさまカカシの間合いから離れた。忌々しげにカカシを睨み付けてから、先刻までカカシに捕われていた手首を己のもう一方の手で摩った。 「止めていただいて。ご忠告には感謝します」 一言だけ言い残した男は、カカシの返事も待たず忍らしく煙幕とともに消えた。もう一度あの獰猛な笑みを見せつけて。 後に残されたのは、地に昏倒した二人とカカシのみ。見事な程あっさりと姿を晦ました男を、カカシは呆然と見送った。 「行っちゃったヨ。‥‥‥これどうすんの」 カカシは地面に転がる男達を眺めてぼやいた。 |